イバラノミチ


〜3〜

 風丸一郎太。
 いっ時は、研崎に取り込まれ、ダークエンペラーズというチー
ムを率いるキャプテンだったこともあるらしい。
 だが、彼の選手としての能力は、あのチームの中では突出し
て高いわけではない。それでいうなら、上を行く選手はいくらで
もいる。
 女が興味を持ったのも、その前歴ではなかった。
 風丸が離脱したことで、円堂守が崩れた。
 女に、日本行きを命じた人物は、そう言った。
 それまでの円堂に、揺らぎはなかった。非常に安定した精神
力の持ち主。常にチームの中心で、柱のような存在だった。そ
れが、風丸を失くした途端、足元の床が崩れるように、支えを
失くした大木のように、あっけなく崩れた。
 面白いと思った。何が円堂をそうさせたのか、気になった。
 同時に、危ういとも思った。
 ほぼ唯一と言っていい、円堂守の弱点だ。彼を付け狙う連中
にすれば、喉から手が出るほど欲しいだろう。
 自分に入って来るくらいの情報なら、連中はとうに持ってい
るはずだ。いずれ、嗅ぎつけるに違いない。あるいは、既に周
囲に張り付いているかもしれない。
 だから、悪戯を仕掛けた。
 連中が張り付いているなら、逃げた女を追って来るだろうと
思ったのだ。
 だが、追手はかからなかった。
 まだ、連中は風丸の方に目を向けてはいないのだろうか。
「……」
 相手の声に、考えを中断された。
「ええ、大丈夫よ。心配しないで。自分がするべきことは、判
ってるから」
 マリーは、ひと言ひと言、区切るように言った。
「マモルには、誰にも、指一本触れさせない。ライオコット島
に渡すまでは、ね」
 電話を切った。
 ジャケットを脱ぎ、バスルームに入る。
 蛇口をひねり、洗面台で顔を洗った。彼女が住んでいるのも
島国で、家から歩いて砂浜に出られるほど海は近いが、日本の
潮風は少し違う気がする。
 大都会に接しているせいだろうか、埃も一緒に、肌に纏わり
付いているようだ。
 タオルで顔を拭き、鏡を見詰めた。化粧気のない、20歳の
女が映っている。
 鼻梁が高く、唇は薄い。これで目元が鋭かったら、ひどく冷
たい顔になるところだが、黒い瞳には意外なほど温かみがあり、
そのせいで、「可愛い」と言われることも、よくあった。
 血のせいだ。
 彼女の中には、4分の1だけ、日本人の血が流れている。
 自分がクォーターであることも、女として魅力があるかどう
かも、マリーは興味がない。
 頭にあるのは、自分に与えられた仕事と、それがもたらす結
果だけだ。
 円堂大介の孫、守を、無傷でライオコット島に送る。
 そのためには、『弱点』も含め、守の全てをカバーする。
 島へ渡して、その後は、現地の人間の仕事だ。
「やっとだよ……」
 鏡に手をつき、そこに映る自分に、語りかける。
「やっと、欲しかったものが手に入るんだ……」
 40年前に交わされた契約。
 守は、その時からずっと彼らが抱き続けてきた、希望そのも
のだった。

                              (続く)



2010.9.12
ぱたーん。(←あっけなく倒れた音。46話参照)