イバラノミチ


                〜3〜

 女が運転するゴルフが滑り込んだのは、海沿いに建つ16階
建てのホテルの、地下駐車場だった。
 都心と合宿所との、ちょうど中間あたりに位置するその地区に
は、大型の展示施設と外資系企業の高層ビルが立ち並んでい
る。
 まだ日本がバブルに湧いていた頃は、次々に都心から企業も
人も溢れ出し、この辺りも今の丸の内や六本木を思わせる賑や
かさだったらしいが、今では見る影もない。
 建物はかろうじて美しさを保っているが、片側四車線の広い
道路にも、それを跨ぐようにビルの間を繋いでいる高架にも、
人影はまばらだ。
 最も寂しさを感じさせるのは夕方で、昨日、空港からここへ
移動して来たばかりの女が見たのは、巨大なビル壁にまばらに
浮かぶ、窓明かりだった。よほど空き部屋が多いのだろう。暗
い窓より、明るい窓を数えた方が早かったくらいだ。
 かといって、女に特別な感慨はない。
 華やかなりし過去も、当時を知る人間から知識として聞いた
だけで、彼女が体験したわけではないし、彼女が生まれ育った
国には、この千分の一の光すらなかった。
 ただ、先進国と呼ばれる国も、衰えることはあるのだろう、と
そんなことを考えただけだ。
 女は、地下駐車場の空きスペースに車を入れた。ここも七割
方が空いている。
 助手席に投げ出してあった、ナイロン製のディパックを取る
と、周囲に鋭く目を走らせる。誰もいないことを確かめてから、
車を降り、エレベーターに向かった。
 このホテルでは、地下から直接客室に上がることは出来ない。
 ロビーのある1階で、エレベーターを乗り換える構造になって
いる。
 わざと、そういうホテルを選んだのだ。
 女の部屋は、12階のツインルームだった。
 入るとすぐに、ぐるりと見回し、残しておいた目印を確かめる。
 大丈夫、誰も入り込んだ形跡はない。
 セミダブルのベッドの片方に、ディパックを放り、窓際のライ
ティングデスクに向かう。不自然なほど無駄のない、きびきび
とした動きだった。
 デスクに置かれた電話の受話器を上げ、外線のボタンを押す。
続けて、国際電話の番号を押した。
「アロー」
 相手が出ると、女は呼びかけた。低く、ハスキーな声だった。
「マリーよ。そっちはどう?……そう」
 マリーと名乗った女は頷き、言った。
「マモルを見たわ。つい、さっき。やっぱり、ダイスケに似て
るわね」
 相手が何事か返す。
「いいえ、声は掛けていないわ。見ていただけよ。……ええ、
心配しないで。彼の仲間にも、何もしていない」
 嘘だった。
 ほんの少し、悪戯を仕掛けた。
 2人──特に興味があったのは、そのうちの1人の方だ。
 さらさらとした長いポニーテールと、大きな目を思い出す。
華奢にすら見える細い体つきで、しかし、驚くほど動きは敏捷
だった。

                              (続く)



2010.9.12
そういえば、その「展示施設」でイベントをやっていた時代も
ありましたね(笑)