プラトンの嘆き
一つだけ、はっきりしたことがある。
この生々しさ、夢なんかじゃない。現実だ。
とすると、悪戯か。それにしたって度が過ぎている。
「風丸!ヒロト!二人ともいい加減に……!」
途中で、声を飲み込んだ。
風丸の手が、胸の上にあった。
起きているのかと動ける範囲で首を動かし、顔を覗き込んだ
が、目は閉じられたままだった。起こされかけたのが不快だっ
たのか、眉間にひと筋、しわが寄っている。
こんな状況だというのに、しかめ面も綺麗だなと、円堂は思
った。
考えてみれば、十年以上の付き合いになるのに、こんなに近
くで顔を見たことは──あった。
保育園時代だ。よく二人、額をくっつけるようにして昼寝し
ていた。あの頃は照れも躊躇いもなかったから、手を繋いで寝
たこともあったかもしれない。記憶にある風丸の手は、優しく
て、柔らかかった。
今も、同じかな。
ふと触ってみたくなったが、あいにく右手は、皮肉にも風丸
の下敷きになっていて使えない。
左手はといえば、こっちはヒロトの下敷きだ。
左に首を巡らす。ヒロトは円堂の胸に顔を押し付けるように
して寝ていた。安心しきっているのか、寝息は静かで、規則正
しい。
つむじを見下ろすうちに、何だか少し胸が苦しくなった。
エイリア石の事件から後、ちゃんと眠れていたのだろうか。
親のいないヒロトにとって、吉良星二郎は父親同然の存在だ
った。今も、それは変わっていないだろう。吉良のしたことは
許されないが、それと「親子」の情は別だ。祖父の一件を除けば、
何不自由ない家庭に育った円堂にも、それくらいは判る。
あれから吉良がどうなったのか、詳しい話は聞いていないが、
ヒロトが知らないわけがないし、経過がどうあれ、胸を痛めて
いるのは間違いない。
一人より、誰かの傍で寝ている方が、安心するのかも──と、
思いかけた時、
「う、ううん……」
ヒロトが寝苦しそうにまた体を動かし、円堂は、ぎょっと目を
剥いた。
円堂も寝相は悪いし、誰だって寝返りくらいうつ。だから、
動くなとは言わない。
動いた結果が問題なのだ。
お前、どこ触ってんだよ!
トランクスの上から、ヒロトの手が、円堂の股間に触れてい
た。
それも、ちょっと掠ってしまったとか、たまたま手を置いた
らソレの上だったとか、そんなレベルではない。明らかにそこ
がどこかを承知した上で、しかも、結果を期待した触り方だっ
た。
──本当に寝てるのか?
疑いが頭をもたげたが、情けないことに下半身まで一緒に頭
をもたげ始めて、円堂はうろたえた。
まずい。これはまずい。
寝ぼけた男友達に弄られて、うっかり達ってしまったなんて
洒落にもならない。
大体、ここには風丸もいるんだぞ。ヒロトは当事者だから
ともかくも、風丸に何と言って説明する?
汚れた下着のまま、ああでもないこうでもないと言い訳する
自分を想像して、円堂は身震いした。
冗談じゃない。ここはどうにかして切り抜けなければ。
まずは深呼吸だ。それから風丸を起こさないようにヒロトを
起こして、それから、それから──。
表面を撫でていた手が、突然トランクスの中に滑り込んで来
て、円堂はがばりと跳ね起きた。もう限界だ。
「だから俺のベッドで何やってんだ!って、うおっ!」
弾みで、二人を跳ね飛ばしてしまった。風丸が壁に転がり、
ヒロトがベッドから落ちかける。
やばい!
ひやりとした。怪我でもされたら大ごとだ。咄嗟に両手を伸
ばして二人を捕まえる。元の場所に引きずり戻し、ほっと肩で
息を吐いた。
さすがに目が覚めかけたらしい。闖入者たちは暫しもぞもぞ
していたが、やがて落ち着くと、また円堂に頭をすり寄せ、眠
り込んだ。
「良かった……じゃ、なくて!」
円堂は、頭を抱えた。結局、振り出しに戻っただけじゃない
か。
どうしてあのまま二人を起こさなかったのだろうと、恨めし
く二つの顔を見下ろすうちに、苦笑が漏れた。
風丸もヒロトも、実に心地よさげに寝ている。その眠りを妨
げてまで、騒ぐほどのことだろうか。
どうせ明日になれば目を覚ますのだし、そんなにここが居心
地が良いのなら、また寝に来ればいい──ただし、今度はひと
言、断りを入れた上で。
眠気が急にUターンして来て、円堂も毛布に潜り込んだ。
両腕をどこに置こうか少し迷い、腕枕よろしく二人の頭の下に
差し入れた。顔に投げ出すよりはいいだろう。
「おやすみ」
返事はなかった。
目を閉じた途端、意識が沈み込んでゆく。
深く深く、沈んでいく円堂の両脇で、温かい気配が動いた。
何だよ、もう全部、明日でいいだろう。眠らせてくれよ。
左右から、きゅっと耳をつままれた。痛くはない。怒るので
はなく、あくまで軽く、咎めるようなつまみ方だ。
完全に意識を手放す瞬間、両耳に、溜息もろとも囁きが吹き
込まれた。
「「バカ」」。
了
2010.5.23
はい、円堂受難の夜でした。
何で受っ子二人がこんなことをしたのかは、また別の話でv