悪党


 痛ェなぁ。
 三志郎が呟いた言葉を、不壊は聞き逃さなかった。
「どこか、怪我でもしたのか?」
 尋ねると、三志郎は立ち止まった。
 肩越しに振り返り、胸元まで姿を現した不壊を見て、困った
ように笑う。
「ありゃ、聞こえてたか」
「影はホットラインみたいなもんだからな」
「ホットライン?」
 首を傾げる。不壊は軽く溜息を吐いた。
「兄ちゃんと俺を直接繋ぐ糸電話くらいに思っとけ。
……それで、どこを怪我したって?」
 ロンドンとの対撃を終え、次のステージへ向かう道すがらだ
った。
 三志郎を勝ち抜かせるために、ロンドンが使った力は生半可な
ものではなく、決着がついた時には、どちらも体中あちこち
傷だらけだった。
 気付かなかったが、深い傷でも負っていたのだろうか。
 眉を顰める不壊に、
「怪我なんかしてねェよ」
と、三志郎は首を振り、ぼそりと言い足した。
「胸が痛ェだけだ」
 それきり、口を噤んだ。また前を向き、黙々と歩き出す。
 その背中を、不壊は追った。


 悪党と呼ばれる輩には、二通りある。
 それを悪事と知っていて確信犯的に行う者と、まったく無意識
に、あるいは良心のままに行ったことが、結果的に悪事になって
しまう者の二つだ。
「アンタのとこのぷれい屋、あれは間違いなく、後者だね」
 そう言い切ったのは、個魔仲間の一人──ウタだった。
 元々食えない性格の女だが、長い付き合いのせいもあって、
遠慮も会釈もない物の言い方をする。
「ああ?たかだか11やそこらのガキじゃねェか」
 鼻で笑った不壊に、ウタは皮肉な笑みを返した。
「こういうのはね、年じゃないんだよ。ああいう悪気のない手
合いが、一番怖いんだ」
「へえ、そうかい」
「信じてないね?いいよ、飄々としてられるのも今のうちさ。
見ててご覧。そのうちあの子はアンタをがんじがらめにしちま
うから。その時、やっぱりお前の言うとおりだったって泣きつ
いて来たって、アタシは知らないからね」
 あれから随分と経つが、未だ、ウタが何を言おうとしていた
のか、不壊には判らない。
 三志郎は相変わらず元気印の子供で、ウタに泣きつきたくな
るような事態は起こっていない。
 ただ、確かに三志郎に悪意が存在しないことだけは判った。
裏がない、と言っても良い。
 人間誰しも併せ持っている、建前と本音、表と裏の顔──
その『裏』が、三志郎には見当たらなかった。
 だから三志郎の言葉には嘘がない。
 口にするのは真実だけだ。
 だが、それの何を、ウタは怖いと言うのだろう。


 どれくらい、歩き続けたろうか。
 再び、三志郎が足を止めた。
 くるりと体ごと振り返り、
「不壊」
と、右手を差し出した。
「一緒に来い、不壊」
 不壊を見上げるその面には、あのいつもの弾けるような笑顔
も、少し照れ臭そうな表情も、浮かんではいない。
 初めて見る男の顔で、三志郎は言った。
「一緒に来るか、って不壊が聞いたんだ。不壊の手を握って、
俺の旅は始まった。
でも、ここから先は、俺が不壊を連れて行く」
 差し出された右手を、不壊は見詰めた。
 初めて会ったあの日、繋いだ手だ。
 不壊は言った。
「今回の妖逆門は前代未聞だ。誰も体験したことがない。それ
がどういうことか、兄ちゃんは判ってんだよな?」
 百戦錬磨の個魔も逃げ出すかもしれない。妖逆門の深みへと、
自分たちは踏み出そうとしている。
「判ってるさ」
 あっさりと三志郎は頷いた。
「判っていて、『一緒に来るか』じゃないのか」
「不壊が俺を選んだんだろ。最後まで一緒に来い。嫌だっつっ
ても聞かないからな」
 漸く三志郎が笑い、不壊は、僅かに目を細めた。
 ウタの声が甦る。
 ──そのうちあの子はアンタをがんじがらめにしちまうから。
 なるほど、こういうことか。
 不壊は口端を上げ、笑んだ。
 まっすぐで裏のない者は、相手にも同じものを求める──無
意識に。
 求められた者は、戸惑いながらも頷くしかない。
 他意のない真実だけの言葉と、それを口にする者に、どうし
ようもなく惹かれるからだ。
 三志郎に道を譲った子供達が、そうであったように。
 この躰も、心も、何もかも絡め取られ、それでも差し出され
た手を取らずにはいられない。
 三志郎の手を握る。
 キュッと強く握り返して来る、彼の手の温もりを感じながら、
不壊は言った。
「なあ。兄ちゃんみたいな奴のことを何て言うか、知ってるか?」
「あ?」
「……『悪党』って言うんだよ」


                 ×  ×  ×


「不壊!貴様やはり、妖逆門の味方をするのか!」
 どろどろと濁った暗雲に覆われた空から、生臭い風が吹き降
ろす。
 妖たちに囲まれ、詰め寄られながら、不壊は肩を竦めた。
 裏切りだと叫ぶ彼らは、それでも幸せだ。彼らは未だ、囚わ
れていない。
 ちらりと斜め前に立つ少年を見遣る。
 裏切りも信頼も、敵も味方も、もうどうでも良かった。

「知らねェな。俺はただ、兄ちゃんに付いて行くだけだ」

 誰よりも純粋で、嘘のない男。
 真っ直ぐな眼差しの呪縛。
 
 ──悪党。



                            了
                  

2007.4.12
HHCの片山めい様から、イメージ画像を頂いてしまいました!(嬉)
あまりに嬉しくて宝箱と本文と両方にアップ!差し出された兄ちゃんの
手を取ろうとする不壊の表情が堪らんです〜〜〜vvv
めい様、ありがとうございました!!

2007.1.23
三志郎は「不壊に連れ出してもらった」とずっと思っていたみたい
だけど、不壊の方はどこかで「兄ちゃんが俺を連れて行く」という
意識に変わっていたんじゃないかと…そういうことです。
押し付けで申し訳ありませんが、HHCの片山めい様に捧げます。
めい様〜もらってやってくださいまし〜〜〜vvv