サウダージ


 ヒタヒタと、『彼』を連れ去るものが音を立てる。
 忌まわしい白い紙切れ。
 あんなものに、彼が囚われてしまうなんて。
 冷たく素っ気ない人。
 だが本当は、誰より優しかった人。
 長くうねる黒髪が、ほっそりと背の高いシルエットが、
手の届かない場所へ行ってしまう。
 見えない壁に、力任せに拳を叩き付けた。
 開かない。壊れない。彼と自分を隔てる壁がそこにあ
る。この身を守るために、最後の力で彼が作ったのだ。
 こんなもの要らない。
 ここから、出してくれ。
 そんな風に微笑わないでくれ。
 『嬉しかった』なんて、過去のように言わないでくれ。
 頼むから──遠くへ行かないでくれ。

 フエ……!


           ×  ×  ×


「……ん、兄ちゃん!おい!」
 目を開けた。
 夜明けの薄明りの中、覗き込む顔があった。
「……不壊?」
 良かった。『彼』は、どこにも行っていない。
 安堵して、三志郎は半身を起こした。肘の下で、短い
芝草がカサリと音を立てる。
 昨夜、野宿を決めた公園だった。
 また別の空間に飛ばされたのかと思ったが、そういう
わけでもなさそうだ。
 では、ただの夢だったのだろうか。だとしても、異様
に生々しい夢だった。
 寝入りばなを叩き起こされたらしい不壊が、不機嫌そ
うに咎める。
「いきなり叫ぶから何事かと思ったら、寝言かよ。
泣くほど怖い夢を見たのか?」
「泣く……俺が?」
 言われて初めて気が付いた。頬が濡れている。泣いて
いたのだ。
 急に恥ずかしくなって、三志郎は手の甲で目元を拭っ
た。涙だけでなく、酷い汗をかいていた。
「どんな夢だったんだ?」
 お前が、いなくなる夢だよ。
 そう答えかけて、口を噤んだ。
 本当に、あれは不壊だったのだろうか。
 間近にある不壊の顔を、三志郎は見上げた。
 長い銀髪と、ひんやりとした美貌。見慣れた姿だ。
 髪をひと房、掴んでみる。
「銀、だよなあ」
 夢の中の『不壊』は、黒髪だった。
「兄ちゃん……大丈夫か?夢魔に脳味噌食われちまった
りしてないだろうな」
 揶揄われたが言い返す気にもなれず、三志郎は黙って
首を横に振った。
 やはり、そうだ。間違える筈がない。
 あれは確かに不壊で、そして自分は彼を失い、慟哭し
ていた。
 身体ごと心を引き裂かれるような痛みが、まだ残って
いる。
「不壊……」
 堪らず三志郎は腕を伸ばし、不壊の腰を抱き寄せた。
 子供と大人の体格差だ。まるで彼に抱き付いているよ
うな格好になったが、それでも構わなかった。
「どこにも行くなよ、不壊」
 開いたコートの胸に耳を押し付け、三志郎は言った。
「絶対に、俺を置いて消えたりしないって、約束しろよ」
「何だってんだ、一体」
 不壊が苦笑う。
「俺は兄ちゃんのパートナーだぜ?兄ちゃんから離れて、
どこに行くってんだよ」
 手袋を嵌めたままの手が、戸惑いがちに三志郎の頭を
撫でる。
 愛想の欠片もないくせに、誰よりも優しい人。
 失いたくない──例え夢でも。
「二度は、失くさねェから……」
 呟き、彼を抱き締めながら、それでも胸騒ぎは収まら
ない。
 三志郎は、ぎしりと奥歯を噛み締めた。
 
 夢と現の狭間、あの黒髪の人は、どこへ消えたの
だろう──?


                            了
                  


2007.1.14
サンデー本誌のアレを見たら辛抱堪らなくなりました(涙)
うちでは原作世界とアニメ世界はパラレルで走っていると
いう設定です。 アニメ三志郎と原作不壊、原作三志郎と
アニメ不壊がそれぞれ出会うこともある…かも。
アニメでも終盤、不壊が撃符にされちゃったりしないでしょう
ね…?ありそうで怖い。