江戸ポルカ V



               〜14〜


 洞窟を奥へ進めば進むほど、怪しい風は強く、悪臭は濃く鼻
を突くようになった。
 幅一間、高さ七尺ほどの穴の中を、正人ときみどりは、そろそ
ろと進んだ。
 無論、明かりはない。
 出口は果たしてあるものか、あるなら一体どれほど先なのか
見当もつかないし、道は何度も折れ曲がり、もう入口からの光
も入って来ない。
 歩き始めてすぐ、正人は提灯を取り出し掲げたが、何度火を
入れても消えてしまうので、すぐに諦めてしまった。
 不思議なのは、目印一つもない真っ暗闇の中だというのに、
ぼんやりと明るいことだった。
「どうしてだろう」
 正人は、少し遅れて付いて来るきみどりに声をかけた。声は
岩壁に反響して、正人が何人もいるようだった。
「壁」
 小さな声で、きみどりが言った。
「壁?」
 両脇に迫る岩壁に目をやり、気が付いた。重なり合った岩そ
のものが、微かに青く光っている。
「ヒカリゴケだよ。岩の表面に付いて、それが光るの。この辺り
では時々見るけど、こんな一面に広がって光ってるのは、私も
初めて見た」
 正人は頷き、また穴の奥へ向き直った。
 青白い苔の光の向こうで、何かが息づいている。
 道は幾度も曲がり、枝分かれしたが、しかし迷うことはなかっ
た。どうしたことか、ヒカリゴケが群生しているのは、いつも一本
だけだったからだ。
 どこまでも続くかと思われた道は、唐突に終わった。
「これは……」
 正人ときみどりが立っていたのは、だだっ広い、岩屋のよう
な場所だった。三十畳ほどもあるだろうか。一度だけ、子供の
頃に訪れたことのある、増上寺の本堂を思い出した。
 ぐうっと頭をそらせる。天井は高く、時折雨だれのように落ち
る雫が、ちかりと光った。
 そんなものまで見えたのは、存外に明るかったせいだ。これ
まで歩いて来た洞窟内の道よりも明るい、青い光が満ちている。
 だが、ここにはヒカリゴケは見当たらない。見上げた天井にも
外から光が入りそうな裂け目などはなかった。
「正人」
 硬い声がして、正人の袂が引かれた。
「どうしたの?きみどり」
「あれ……」
 きみどりは、目をいっぱいに広げ、左の方を見詰めていた。
袂を掴む手の力が、強くなる。
 何があるのかと、正人もそちらに視線を巡らせ──目を見開
いた。
 巨大な、天井に届くほど大きな氷の壁と、その中で時を止め
た、異形のもの。
「くらぎ……」
 やっと、会えた。
 ふらふらと引き寄せられるように、正人は壁に歩み寄った。
 妖は、かつて見たことのない姿をしていた。
 女のような長い髪の毛と、龍のような体。太く鋭い鉤爪。
 怒り狂ったところを封印されたのか、髪は氷の中で激しく乱
れ、うねり、逆立っている。
「きみどり」
 妖を見上げたまま、正人は、きみどりを呼んだ。
 背後で、びくりと身を竦ませるのが判った。
「どうすれば、この妖を解放出来るか、知ってる?」

                            (続く)


2010.11.28 up