江戸ポルカ V



                 〜13〜


 酷い痛みに、不壊は目を覚ました。
 僅かに身じろいだだけで、耐え難いほどの苦痛が全身を襲う。
まるで、太い棒切れで力任せに殴りつけられているようだ。
 低く響く、虫の羽音のような耳鳴り。
 固い床に転がったまま、背中を丸め、不壊は漏れ出る呻き声
を堪えた。声を出せば体力を消耗するし、どこかで見ているだろ
う重馬を、悦ばせるだけだ。
 四半刻ほど、そうしてじっとしていると、痛みは徐々に和らぎ、
耳鳴りも消えて行った。
 ほっと、息を吐き出す。
 もう一度、不壊は目を開け、辺りを見回した。
 ねっとりと黒い闇の中だった。不壊に与えられた『部屋』だ。
気を失っている間に、ここへ戻されていたらしい。
 ──言ったろう。お前は餌だと。
 重馬の『妖狩り』は、連日続いていた。
 これという妖を見つけると、重馬は不壊をこの『部屋』から連
れ出す。そうして、不壊を餌として仕掛けては、食おうと現れた
妖を封印するのだ。
 どれほど警戒心の強い妖も、食事時には隙が出来る。餌への
欲求が、他の感覚を薄れさせるのだ。
 妖狩りには絶好の機会だ。
 不壊は、まだじくじくと痛む左の足首に触れた。昨日、「犬神」
に咬まれた傷だった。火箸で幾ヶ所も突かれたような穴は、牙
の痕だ。
 乱れた着物から覗く、右肩の痣は「鬼の手」が、右手の甲に
負った火傷は「火魂」が残したものだ。
 皆、不壊を恨んでいるだろう。
 ──『貴様、やはり……!』。
 犬神はそう言って、撃符に吸い込まれて行った。金色の目に、
はっきりと、憎悪と怒りがあった。
 「やはり」の後に続く言葉を、不壊は容易に想像することが
出来る。
 『裏切ったのか』。そう言いたかったに違いない。
 ──妖の裏切者め。
 かつて幾度となく浴びせられた言葉を思い出した。
 真実だ。不壊は、仲間を裏切った。人間である重馬に味方し、
妖狩りに手を貸したのだ。
 例え不壊にどんな理由があったとしても、あの妖たちは不壊
を許しはしないだろう。
 妖の世界に、もはや不壊の居場所はない。
 それでも、悔いはなかった。
 この身と引き換えにしても守りたいものがある。
 痛む脇腹に手を当てた時、闇が、すっと縦に割れた。
 黄色っぽい光が射し込み、人影が現れた。
「……お前か」
 ウタだった。蝋燭を灯した燭台と、小さな手桶を抱えている。
「何の用だ」
 問いには応えず、素早く蔀戸を閉じると、ウタは不壊を見下
ろして言った。
「また派手にやられたじゃないか」
 不壊の傍らに、黒い着物の膝を付く。手桶には、水と手拭が
入っていた。
「見せてごらん」
「俺に構うな。重馬の機嫌を損ねるぞ」
「余計なお世話よ。さっさとその手を退けて。傷口を拭くから」
 不壊は溜息と共に、脇腹を押さえていた手をずらした。ウタ
の目が広がる。


                            (続く)


2010.11.18 up