江戸ポルカ V


              〜 12〜


 くらぎの居場所が判ったことで気力が湧いたのか、きみどりと
会った翌日、正人の熱は嘘のように引いた。
 早朝、きみどりが用意してくれた朝飯を食べ、正人は彼女と
連れ立って出発した。
 昨日まで空を覆っていた灰色の雲も今日は晴れ、澄んだ青空
が広がっている。
 歩き出して振り返ってみると、きみどりの家は、今にも崩れて
しまいそうなほど傷んだ、古い山小屋だった。半ばまで雪に埋
もれ、軒に下がったつららの先から、ぽたぽたと透明な雫が落
ちている。
 不思議なことに、屋根の上には雪がなかった。
 一人で暮らしているらしいきみどりが、自分で雪下ろしをして
いるとも思えない。誰が手を貸したのだろう、と考えていると、
「あの家は、雪神様から頂いたものだから。神様のお住まいだ
から、雪も自然に解けてしまうの」
まるで、正人が考えていることを読み取ったかのように、きみ
どりは言った。
「雪神様?雪女みたいな感じ?」
「違う。正人は、聞いたことない?」
「うん。初めて聞く名前だ」
「雪神様は、田んぼの神様と同じ方だよ。春から秋までは田ん
ぼにいらして、稲穂が実る頃に山に引き上げて来て、雪神様に
なるの」
「妖とは違うの?」
「違うよ。だって、神様だもの」
「会ったこと、ある?」
「あるよ。お爺さんの姿だった」
「すごい!」
と、正人は声を上げた。
 雪をまぶしたような木々の枝から、山鳥がばさばさと飛び立
つ。きみどりが、正人を見上げ訊ねた。
「すごいって、何が?」
「君がだよ!神様に会ったことがあるんだろ?すごいじゃない
か!いいなあ。僕も、会ってみたいなあ……」
 山を登っているせいだけでなく、胸が高鳴っていた。これほ
ど興奮したのは、初めて妖を見た時以来だ。
 上気する正人の顔を、きみどりは不思議そうに見ている。
 この、正人より更に年下と見える少女もまた、妖だ。
 里山に何十年、何百年も前から根を下ろし、枝を伸ばし、葉
を繁らせてきた、大樹から生まれたのだと、昨夜きみどりは、
正人の枕元で語った。
 勿論、自分が何者であるか、彼女が最初から知っていたわけ
ではない。
 気が付いたら、木の下に一人、立っていたのだという。
「どこかに行こうとしても、動けなかったの。ずんずん歩いて
行くと、どうしてだか元の場所に戻ってしまう。やっと自由に
なれたのは、お爺ちゃんに会ってからだった」
「お爺ちゃん?人間の?」
「うん。白い眉毛とお髭を生やしててね」
 老人は、一見普通の人間のように見えた。
 だが、どこへも行かれず、べそをかいていたきみどりを見る
なり、彼女が妖であることも、傍らに聳え立つ大樹から生まれ
たことも、すぐに見抜いたのだという。


                            (続く)


2010.11.8 up