江戸ポルカ V


〜 11〜


「何?」
「今、あの爺さん、どこに消えた?」
「どこって、屏風の向こうに。お前も見てただろ」
「そうじゃなくって」
 ロンドンは、じれったそうな口調になった。
「屏風の左なら、いい。だけど今、あの爺さんが入っていった
のは……」
「おおい、何をしておる。早く来ないか」
 再び老人の声がして、漸く三志郎は察した。
 屏風の左隻は、店から見て廊下をふさぐ格好で立てられてい
る。その向こうに消えたなら、家の奥に入って行ったことにな
る。
 だが、老人が消えたのは、右隻だった。そのすぐ後ろにある
のは、沈鬱な色をした壁だ。
 老人は、一寸(約三センチ)ほどしかない隙間から現れて、
またその隙間に消え、今はそこから、三志郎たちを呼んでいる
のだ。
 一瞬ぞっとしたが、頭を軽く振って、恐怖を追い払った。
 今更何だ。老人が、ただの人間ではないと思ったから、教え
を請いにここまで来たのだ。
 もし幻風堂自身が妖だとしても、強くなれるのなら、構いや
しない。
「行くぞ」
 腹を括って、座敷に上がった。黙ってロンドンも付いて来る。
 屏風を回り込んだところで、二人はぽかんと口を開けた。
 壁があるべきところに、部屋があった。
 今、三志郎が通って来た店より一回り広い部屋だ。
 薄汚れた灰色の壁は店と同じだが、こちらは隙間なく棚が置
かれ、そこに小さな壷やら瓶やらが所狭しと並べられている。
 天井から直接吊り下げられているものもあった。近付いて見
ると、それは、からからに干からびた蛇だった。
 表の店で嗅いだ強い薬の臭いは、この部屋から漂っていたの
か。
 ありえない部屋の奥に立ち、こちらを向いた老人は、僅かに
誇らしげな口調で言った。
「ようこそ、本物の幻風堂へ。こちらの店に入ったのは、人間
ではお前さんたちが初めてじゃ」
 もう一歩、二歩、三志郎は足を踏み入れた。奥に近付けば近
付くほど、薬の臭いが濃くなる。
「人間ではってことは、爺っちゃんは人間じゃないのか?妖
か?」
「元は人間だったがの、今はどちらでもない。この部屋と同じ
じゃ。人の世と妖の世の、中間。二つの世界の境目の、番人の
ようなものだと思えばいい」
 番人ということは、妖と戦ったりしているのだろうか。
 まるで三志郎の頭の中を読み取ったように、老人は言った。
「言っておくが、儂は撃符使いではない。戦うのが仕事ではな
いからな。だから、戦い方を教えろと言われても、それは出来
ん。儂に教えられるのは、この世の原理、決まりごとじゃ」
「戦い方は、教えてくれないのか……」
 幻風堂に来れば、強くなる方法を教えてもらえると、勝手に
期待していた。ただの思い込みだったのだと理解しながらも、
落胆した。
「まあ、そう落ち込むな」
 老人はあくまで明るい声で言った。


                            (続く)


2010.10.31 up