江戸ポルカ V


               〜 10〜


「先ほど私は、人間と妖とは対極に位置する存在だと言った」
 父の言葉に、清は黙って頷いた。
 また、庭先で、雪が落ちる音がする。
 静かだった。使用人たちはどこで何をしているものか、物音
一つ、話し声一つ聞こえない。
 まるで、大切な話だと父が言ったのを聞いていて、そっと息
を潜めているかのようだ。
 冷めてしまった茶で口を湿らせ、父は続けた。
「本来、二つの世界は交わることはない。ちょうど、太陽と月
が隣り合って空に浮かぶことがないように。だが──清、お前
は『逢魔が時』というものを知っているかね」
「……はい」
 逢魔が時──『大禍時』と書くこともある、暮れ六つ(午後
六時)頃、黄昏時のことである。
 そもそも『たそがれ』自体が、『誰そ彼』、『今すれ違った彼は
誰だ』から来ている言葉であり、夕暮れ時で相手の顔も判らな
い、人間か物の怪の類かも判らない、そういう時刻とされてい
る。
 魔に逢いやすい時刻──『逢魔が時』だ。
「魔は、人間から見た妖のこと。では、その妖たちは、どこか
ら現れるのか。
普段、決して交わることのない二つの世界は、ある一点で繋が
っている。人間界と異界を隔てるその門の名は、『妖逆門』とい
う」
「ばけぎゃもん」
 初めて聞く言葉を、清は繰り返した。
 馴染みがないからか、それは異国の言葉のように響いた。
 胸がどきどきする。
「全ての妖は、その門を通って、こちら側へやって来る。お前
や私がよく知る妖たちも、かつてそうしてやって来たのだよ」
「二つの世界の繋ぎ目ということは、こちらからあちらへも行け
るということ?お父様は行ったことがある?」
 例え親子であっても、神事に関しては師弟の関係だ。気を付
けていたのに、興奮のあまり、つい子供の口調に戻ってしまっ
た。
 今にも膝に飛び付きそうな清に、しかし父は首を横に振った。
「行ったことはない。妖逆門の前に立ったことさえ、私はない。
おそらく、先代も、先々代もそうだったろう。だが、ことが起これ
ば、何をおいても駆けつけなければならない」
 急に、語る声が低くなった気がして、清は父の顔を見つめた。
その顔は、これまで見たこともないほど、暗く険しかった。
「お前には、妖のお世話をするのが、我々妖神社にお仕えする
者の勤めだと教えて来た。しかしそれは、表の顔に過ぎない。
我々には裏の顔、もう一つの大切な使命がある。人間界に現れ
てはならない妖を、門で足止めするという使命だ」
 竈の火に水をかけたように、さっと興奮が冷めた。父は、何か
とてつもなく恐ろしいことを口にしようとしている。
「お前にとっては、これまで、妖は人間と同じ、時には人間より
近しい存在だったろう。個魔と出会ってからは、尚さらに。
それはそれでいい。お前がそうして心を開くからこそ、妖もお前
の言葉を聞いてくれるのだから。
だが、妖の中には、決して人間とは相容れぬものもいる。それ
には世の理など通用しない。言葉も届かない。災厄を撒き散ら
すこと、ただその本能のみで生きている。決して、門を通しては
ならない妖だ」
「そのような妖がいるなんて……」
 その時、雷に打たれたように、衝撃が清の中を走った。
 父の言わんとしていることが判ったからだった。


                            (続く)


2010.10.19
すみません…!また間が開いてしまいました(汗)