江戸ポルカ V


                 〜 9〜


 品川宿は、東海道五十三次では江戸を出て最初の宿場町であ
る。
 品川湊にほど近い町は三つに分かれ、それぞれ江戸に近い方
から新宿、北宿、南宿と呼ばれている。
 どの宿場町にも飯盛女と呼ばれる遊女たちがいて、泊り客の
相手をするものだが、中でも品川宿は人気があり規模も大きく、
立ち並ぶ旅籠や茶屋では連日賑やかな宴席が開かれていた。
「宿場芸者の数も、吉原に次いで多いんだ。それでも間に合わ
ないくらい、年明けは芸者の出番が多い。小春師匠も年末から
出稽古で飛び歩いてるよ」
 昼下がり、幻風堂に向かう道すがら、ロンドンはそんな話を
した。
 小春というのが、あのしもた屋を貸してくれた三味線の師匠
だった。
 三志郎はまだ会ったことがないが、普段は半町ほど離れたと
ころにある別宅にいるらしい。三志郎とロンドンが寝泊りしている
のは、小春が元々住んでいた家だ。
 小春師匠は、いわゆる『旦那持ち』だった。
「大きな町なんだな」
 三志郎たちがいる家は、北宿の中ほどにあった。端に位置す
る幻風堂とは、目抜き通りで繋がっている。
 歩きながら、三志郎は町の様子を眺めた。
 奇妙な町だと思う。
 実家が料理旅籠、奉公先が仕出しを行う料理屋だった三志郎
にとって、旅籠町も岡場所もさして珍しい場所ではない。
 だがここは、そのどちらでもあって、どちらでもなかった。
 埃塗れの旅人が旅籠の暖簾をくぐったかと思えば、その二軒
隣の見世先では、遊女が客を見送っている。休み場と遊び場が、
混在している。こんな町は初めてだった。
 ロンドンが言った。
「ここで旅籠と言ったら、八割が遊郭だ。遊女を置かない平旅籠
はたった二割さ」
「そうなのか?」
 一軒の見世の前で、暖簾を上げて出て来る女と目が合った。
湯屋に行くところらしく、髪を櫛巻きにし、着替えを抱えている。
三志郎に、媚を含んだ笑みを向けて来た。
 目を逸らした三志郎に、ロンドンがくすくす笑う。
「照れるなよ」
「別に、照れてるんじゃねェよ」
 髪も顔も、全然似ていない。なのに、不壊を思い出していた。
 不壊は、あんな風に誰彼構わず笑ったりしなかった。いつも
寝井戸屋の最上階にいて、不機嫌そうに客の相手をしていた。
 階下へ降りることは滅多になく、降りたのを見たのは、花魁
道中と──三志郎の腕の中に落ちて来た時だった。
 ほんの半年前からこちらの出来事だというのに、何だかひど
く遠い昔のことのように思える。
 あの寝井戸屋は、もうない。
 そして、不壊もいない。
「着いたぜ」
 ロンドンの声に、三志郎は足を止めた。
 一軒の店の前に、二人は立っていた。
 古い二階家だった。出入口の障子は閉じているが、休みでは
なさそうだ。軒先に、薬壷の形の看板が掛かっている。煤けた
板に、『幻風堂』の文字が見えた。
 ロンドンが言った。
「僕も行くよ」
「お前も?」
 案内を引き受けてくれただけで、そのまま引き返すつもりだ
と思っていた三志郎は、驚いた。
「ここまで来たんだ。乗りかかった船だし、僕も少し気になる
ことがある」
 何が気になるのか、そこまでは言わなかった。三志郎は頷い
た。
「よし、行こう」
 障子戸に手を掛ける。立て付けが少し歪んでいるのか、かた
かたと音を立て、それは開いた。


                            (続く)


2010.6.29
品川宿は江戸を出て最初の宿場町なので、江戸を出て来た
人も、江戸に帰る人も、浮かれ気分で品川で遊んだらしいです。