江戸ポルカ V


〜 5〜


「きみどり」がびくりと肩を震わせる。その肩を掴んだ。
「名前を聞いているんじゃない!何者かと聞いてるんだ!子供
が一人でこんなところにいるわけがない。人間じゃないな。妖
か。それとも術師か。華院か!重馬の手下なのか!」
きみどりの目が見開かれた。怯えている、と思った瞬間、バチ
ン!と何かに手を弾かれた。驚き緩めた手から、少女がすり抜
ける。
「あっ」
囲炉裏の向こう側へ逃げ、きみどりは壁に背中を付けて座り込
んだ。
白い湯気を上げる鉄瓶を挟み、向かい合う。
見詰める大きな目にいたたまれなくなって、正人は謝った。
「……ごめん」
きみどりは一瞬、肩を震わせたが、もう逃げようとはしなかっ
た。怖がってはいるが、逃げる気はないようだ。
尤も、ここが彼女の住まいなら、正人を追い出せば済むことな
のだが。
「君が、助けてくれたのかい」
少女は頷いた。躊躇うように目を瞬き、唇を動かす。
「雪の中に、倒れていたから……」
「そうか。ありがとう。僕は、須貝正人。大きな声を出して、
ごめんよ。君が、敵なんじゃないかと疑ってしまった」
「敵?」
何故か、この少女には全て打ち明けても大丈夫だという気がし
た。
「そう」
正人は頷いた。
「華院という術師の一族がある。その華院の、今の当主が、僕
の敵だ。華院重馬という」
「術師?」
「古の時代から、妖と戦って来た人間たちだよ。奴らにとって、
妖は忌むべきもの。人間の敵で、封じ込めるべきものだ。重馬
に、僕は、大切な妖を奪われた。個魔という妖で、名前はウタ
という」
「ウタ」
言葉を覚え始めた幼児のように、きみどりは、正人の発する
言葉をそのまま繰り返した。
その顔には、何の感情も現れない。やはり、妖とは無関係の、
ただの子供なのか。
落胆と安堵の入り混じった気持ちで、正人は続けた。
「僕は妖を探して、山に入った。ウタを助けるには、どうしても
その妖が必要だ。『くらぎ』という名前を、聞いたことはないか
な」
動揺が、幼い面をよぎった。
「くらぎ!」
「知っているのかい?」
きみどりは、正人を見詰め返した。今度は、恐怖ではなく、困惑
の色が浮かんでいた。話すべきか否か、考えているのだ。
正人は、上掛けを傍らに退け、座り直した。足をねじったらしく
少し痛みがあったが構っている暇はない。
「お願いだ、きみどり。くらぎの居場所を知っているなら、教え
て欲しい。僕は、くらぎの力で重馬を倒して、ウタを取り戻し
たいんだ」
「そんなに、大切なの」
「ウタのことかい?うん。大切だよ」
「でも、妖でしょう。人間じゃないのに?」
「ウタは、特別なんだ。妖だけど、家族みたいなもの、かな。
本当の家族よりもね」
「家族」と、きみどりは呟いた。正人から視線が逸れる。煙
ったような目の中に、囲炉裏の炎がちらついていた。
「きみどり」
「もし……」
突然、きみどりが話し出し、正人は口を噤んだ。きみどりの目
は、炎に向いたままだ。
「もし私が妖だったら、どう」
「君が?」
「怖い?逃げ出す?」
正人は首を振った。
「怖くないよ。全然」
「人間じゃないんだよ。ウタって妖は、家族かもしれないけど、
それ以外の妖は?」
「同じさ。怖くなんかないよ。ウタは、沢山の妖と会わせてく
れた。僕が寂しくないように、遊び相手として。だから、妖は
怖くない」
正人は、胸元を押さえた。懐には、くらぎを封じるための撃符
が入っている。怖くないのは、妖に襲われた時、どうすれば良
いかを知っているからだ。
だが、それをきみどりには告げなかった。
意を決したように、きみどりが立ち上がる。短い着物の裾から
覗く脛は、細かった。
「貴方になら、教えてもいい。くらぎの居場所」
「やっぱり、知ってるのか」
今度は、こっくりと頷いた。
「連れて行ってくれるかい?」
「連れて行く。その代わり……あの……」
「正人」
「正人。私と、友達になってくれる?」
意外な頼みだった。
「勿論。君は、僕を助けてくれた命の恩人で、友達だ」
正人の答に、少女が初めて笑顔を見せた。


                            (続く)


2009.11.12
気づけば一ヶ月以上も間が開いてしまいました!
すみません、再開です。