江戸ポルカ V


                〜 3〜


賑やかなお囃子の音が、表から聞こえて来る。
獅子舞か、猿回しか。いずれ正月を祝う遊芸人たちが、家々
を回っているのだろう。あと四半刻もしないうちに、この家の
戸も叩くはずだ。
だが、応えない。応える気もない。
正月に背を向けるように、雨戸を立てた部屋の中で、須貝正人
は蹲っていた。
小さな平屋の中には、正人の他には耳の遠い手伝いの老人が
一人いるだけだ。彼には、こちらから声を掛けるまでは、構わ
ないでくれと言ってある。
食事だけは、部屋の前の廊下に毎日用意してくれているが、
それにも正人は殆ど、手を付けていなかった。
食欲など、まるで湧かない。代わりにふつふつと腹の底から
噴き上がって来るのは、激しい怒りだった。
許さない。ウタを奪った、あの男。
華院重馬。
正人と三志郎、二人の撃符使いを相手に、まったく動じるこ
となく妖を操り、目的を果たした。
術の使い方一つ見れば、重馬がどれほど優れた術師かは、す
ぐに知れる。
だが、このままでは済まさない。
暗闇の中で、正人はぎらつく目を上げた。
ウタは、必ず取り返す。そして、今度は正人が、重馬を叩き
潰す番だ。
三志郎との勝負は、それまでお預けだ。どちらにせよ、お互い
個魔がいなくては勝負にならない。三志郎も、個魔を重馬に
奪われている。
寝井戸屋を出た時、気を失った三志郎の傍に、彼の個魔──
不壊と言ったか──の気配はなかった。
個魔が自ら、瀕死の重傷を負った片割れの傍を離れるとは思
えないから、おそらく重馬が連れ去ったのだろう。
三志郎が命を取り留めたなら、今頃、個魔を取り戻す算段を
始めているはずだ。
正人は、膝を抱える指に力をこめた。
三志郎に、先を越されてはならない。
彼は、ウタを解放して、あるべき場所へ戻せと言った。『ある
べき場所』とは、すなわち重馬の傍だ。
その点では、三志郎と重馬は一致している。
三志郎が先に重馬にたどり着き、そして、不壊と共に捕えら
れているウタを見つけてしまったら、正人は、重馬と三志郎、
両方を相手に戦うことになる。
個魔のいない今の正人にとって、それはあまりに不利な戦い
だった。
何が何でも、三志郎より先にウタまで行き着かなければなら
ないのだ。
だが、どうやって。
正人は、もうずっと着たきりの着物の懐に手を入れた。撃符
の束を取り出す。
あの時、重馬の頭には個魔のことしかなかったのだろう。他
の妖には、いっさい手を出さなかった。
ざっと百はいるだろう、この妖たちが今の正人の手駒だ。こ
れらを使って、重馬に迫ることになる。
──あるいは。
あることを思いつき、正人はうっすらと笑みを浮かべた。
落ち着いて、頭の中でもう一度さらってみる。
そうだ、それがいい。
多少時間はかかるが、上手く糸を張りさえすれば、これ以上
はないほど、こちらの身は安全だ。
「待っていて、ウタ。必ず、助け出してあげるからね」
立ち上がった。
まずは、探し物だ。
標的は、最も忌まわしき妖『くらぎ』。
そしてそれを、重馬の元へ送り込むのだ。


                            (続く)



2009.6.23
今更ですが、撃符使いと個魔の関係は、親子か恋人に
等しいと思う…。