江戸ポルカ V


               〜 2〜

 
光が、閉じた瞼を透かし、意識を揺り起こした。
強い光ではない。行灯や蝋燭よりは明るいが、真夏の日差し
のような勢いはない。
半ば覚醒した耳に、音が入り込んで来た。
はしゃぐ子供の声だ。何人もいて、凧がどうのと言っている。
わあっと笑い声が上がったかと思うと、ぱたぱたと走る足音が
して、声は小さくなった。
三志郎は目を開けた。
黒ずんだ天井板が、まず目に入った。
六畳ほどの小さな部屋だ。右手に障子を嵌め込んだ窓があり、
そこから白くそっけない日差しが入っている。
左手は、そろそろ張り替えた方が良さそうな、煤けた古い唐紙
だった。かろうじて、元は梅の模様が描かれていたことが判る。
それに、鶯。
階段を上がって来る足音がして、唐紙が開いた。顔を出したの
は、三志郎より二つ三つ、年上らしい少女だった。
三志郎と目を合わせると、あら、と小さく声を上げ、また階段
を駆け下りて行く。
どうやら、ここは二階家らしい。階下で人の話し声がしたと
思うと、今度は二人分の足音が、上がって来た。一つは軽く、
一つはずしりと重い。子供と大人だ。
現れた『子供』を見て、三志郎は驚いた。
「ロンドン!」
飛び起きようとして全身に激痛が走り、三志郎は呻いた。少し
力を入れただけで、体中の骨という骨が軋み、ばらばらになっ
てしまいそうだ。
初めて、肩や胸、腕、あちこちにさらしが巻かれていることに
気付いた。
ロンドンが枕元に腰を下ろす。
「おとなしく寝てろよ。医者が慌ててもう一人呼びにやったく
らい、全身ぼろぼろだったんだぜ。三日も目を覚まさないから、
このまま死んじまうんじゃないかと思った」
「三日……」
「もう、年も明けたよ」
そんなに経っていたとは思わなかった。
「お前が助けてくれたのか?ロンドン」
年上の友人を、三志郎は見上げた。その動作だけでも首から
肩に鈍い痛みが走る。
おそらく母親の仕事着を仕立て直したのだろう、粋なよろけ縞
の冬物に身を包んだロンドンは、三志郎を見下ろし、応えた。
「僕が、というより、彼がね」
「彼?」
「失礼する」
ロンドンの背後から、大柄な異人の男が入って来て唐紙を閉め
た。黒い洋装と嵩のある金髪に、見覚えがあった。夏に、寝井
戸屋の不壊の部屋で、一度会っている。
「僕の個魔で、ギグというんだ。彼が、寝井戸屋の異変に気が
付いた」
「あんたが……ありがとう」
ギグは首を振った。にこりともしない。三志郎に向けた碧色の
目に、翳りがあった。
「不壊の居場所が見つかっていない。個魔には個魔の気配が判
る。ハルがウタの居場所を知ったのも、その力のお陰だ。だが
今回、不壊の居場所はまったく判らない。まるで、何かに妨害
されているようだ」
「あそこで何があったのか、話せ。三志郎」
促され、三志郎は話した。
あの日、かがりとイズナに力を借りて、三志郎と不壊は罠を
仕掛けた。江戸中の妖がいなくなれば、きっと正人の操る妖は、
ただ一人残った不壊のところに現れるに違いない。そう踏んで
いたからだ。
だが、現れたのは正人ではなく、正人に絡めとられた修だった。
正人は、三志郎の身近な者たちを襲うことで、三志郎に揺さぶ
りをかけていたのである。
修が自分を取り戻し元の世界へ帰った後、漸く正人と三志郎は
対峙したが、そこに思いがけない伏兵が現れた。
妖を封じる術師、華院の長、華院重馬だ。
重馬は、まず正人の個魔であるウタを奪い取り、次いで、焔斬
を奪った三志郎への意趣返しに、不壊を連れ去った。
三志郎を助けるために、不壊は自ら重馬に従ったのだ。
話し終えた時、ロンドンの表情は曇っていた。


                            (続く)



2009.6.10
久々登場、兄ちゃんです。