江戸ポルカ V


                〜 1〜

 
──本当は、歌っちゃいけないんだよ。

黄色く色づいたすすきのただ中で、赤い髪の女が振り返った。
『女』と呼ぶには、あまりに若い。『少女』だ。『少女』の姿をした、
妖のもの。

──山の神が怒るんだって。春をもたらしてくれる山の神に
   感謝する歌だから、祭の季節以外は歌ってはいけない。
   そう教わったわ。

今、季節は秋だった。
夏の間じゅう太陽の下に灼かれ、立ち昇る陽炎に映りこんで
いた景色は、冷えた空気の中でくっきりとした輪郭を取り戻し、
里山では、人も獣もやがて来る冬に備えて、慌ただしく動き回
っている。
春は、一年の反対側だ。
にも関わらず、彼女は歌う。
歌は、妖の彼女が生まれ落ちた村に古くから伝わるもので、
木霊の老婆が教えてくれたのだ、と言った。

何故、歌う?怒りをかうと判っているのに。

訊ねても、少女は答えなかった。迷うように、僅かに首を傾
げただけだ。
それなら、と、問いを変えた。

山の神が怒ると、どうなるんだ?

──さあ。

判らないのか?

──判らない。

教えられなかったのか?

──教えられなかった。きっと、木霊のばば様も知らなかった
   のだと思う。怒らせた者が、いなかったから。

そうだろうか。人間が、そんなに謙虚な生き物とは思えない。
もっと小ずるく、自分たちの欲のために、神すら騙す。そういう
生き物ではないのか。
だから、言った。

ずいぶんと信心深い、真面目な連中ばかり住んでいたんだな。
その村ってのは。

たっぷりとこめられた皮肉に気付いたのか、少女は目を逸らし
た。また、こちらに背を向ける。
彼女の向こうには、色づき始めたばかりの山がそびえていた。
その頂上から、乾いた風が吹き降ろす。
すすきの穂先が揺れ、見渡す限り、一面黄色の波になった。
その中に立つ少女は、さながら波間に散りかける赤い花のよ
うだ。
ぽつりと、花が言った。

──死ぬのかも。

 思いがけない言葉だった。

──約束を破った者に、山の神が与える罰。命を、奪って行
  くのかもしれない。……この風で。

お前、もしかして、死にたいのか?

少女は答えなかった。代わりに、すっと風を吸い込む。
そして歌った。

……春は花咲く 木かやも芽立つ
  立たぬ名も立つ 立てらりょか……
 
禁じられた歌が、風に乗り、流れてゆく。
黄色い波が、山の彩りが、大きくうねり、不吉にざわめいた。
それでも、山とそこに住まうのだろう『神』に向かって、妖
は歌い続ける。

……春になればぞ うぐいす鳥も
  山を見たてて 身をふける……


               × × ×


不壊は瞼を上げた。
夢とも記憶ともつかない映像が消え、現実が戻って来る。
濃い暗闇の中に、不壊は独り座っていた。
どこだ、ここは。
首を巡らせ、見回す。何も見えなかった。窓はおろか、それ
に代わる灯り一つ見当たらない。



                            (続く)



2009.6.6
すみません、事情によりラスト4行変更しました(汗)

2009.5.31
大変お待たせ致しました。
『江戸ポルカ』完結編(多分)、Vスタートです。
どうぞ最後までお付き合いくださいませv