2×2〜For seasons〜


         〜 浮かれながら夏が逝く A〜


 昨年も一昨年もその前の年も、夏休み最終日はいつも泡食っ
て宿題と格闘していた気がするが、二人で教科を分担したりし
て、どうにかこうにか乗り切って来たのだ。
 それに、同じ境遇の人間がいるのといないのとでは、精神的
ヨユーという奴が全然違う。隣で眠い目を擦りながら頑張って
いる奴がいれば、ようし俺だってまだまだ、なんて気になれる
ものだ。
 それが、今年は一人だなんて。
 不壊の白い手が伸びて、三志郎(弟)の前から、国語のドリ
ルを取り上げた。見るともなしにページをめくりながら、
「どうにか格好のつくもの一つか二つ、仕上げて持って行けよ。
穴だらけのノートを提出するよりは、いくらかマシだろ」
「格好のつくものったって……」
 国語、算数、理科、社会のドリルが一冊ずつ。それに、自由
研究一つ、工作一つ、題材自由の絵が一枚、読書感想文二つと、
『夏休みの思い出』の作文一つ。
「自由研究なんて、今更どうやったって無理だろ。読書感想文
は本読まなきゃ書けねェし……工作は……」
 指折り数えるうちに、どんどん声が小さくなった。あーあ、
と不壊がわざとらしい伸びをする。
「ったく、よくもまあこれだけ溜め込んだもんだぜ。普通は
一つくらい、手をつけてるものだけどな」
 いちいち小馬鹿にした口調が憎たらしい。
 なけなしのボキャブラリーで反撃しかけると、見かねてか
フエが助け舟を出してくれた。
「絵か作文なら、一日で仕上げられるんじゃないか。夏休みの
思い出なら、いくらでもあるだろう?」
「あ、うん!あるぜ、すっげェ沢山!」
 力いっぱい三志郎は頷いた。
「なら、その中から、一番書きたいものを選べばいい」
 黒い瞳がちらりと、だらしなく椅子に凭れた弟を向いた。
「多少忘れていることがあっても、そこにいるのに聞けば判る
だろう」
「覚えていれば、な」
 気のない様子で「飲み物でも買って来る」と立ち上がる不壊
に、三志郎は呼び掛けた。
「覚えてねェの?」
「ああ?」
「俺は覚えてるぜ、全部。毎日すっげェ楽しかったから。お前
は、つまんなかったのか?」
 数瞬、不壊は黙った。それから、思いついたように、開いた
ままのドリルを三志郎の顔に押し付けた。
「ぶっ……何すんだ!」
「惜しめども、止まらぬ夏もあるものを──ってとこだな」
「へ?」
 冊子が顔を滑り落ちる。
「ちょっと、待てよ!不壊!」
 止まらぬ夏が、どうしたって?
 戻った視界の先で、病室のドアが閉まった。けだるげな足音
が、廊下を遠ざかって行く。
「どういう意味だ?」
「さあ?」
 ベッドの上で、三志郎(兄)も首を傾げる。
「それ」と、フエが三志郎(弟)の膝に落ちた冊子を指差した。
目元に苦笑が浮かんでいた。
「多分、そこに書いてあるんじゃないか」
 言われるままに、開いてあったページに目を走らせた。短歌
についての簡単な説明と、例がいくつか。その最後に、問題の
歌はあった。
「『惜しめども止まらぬ春もあるものを いわぬにきたる夏衣
かな』……」
 兄が首を伸ばし、横から覗き込む。
「なになに?『去っていくのを惜しんでも止まらない春もある
のに……』」
 不壊が言ったのは、『止まらぬ夏』。
 だから、それはつまり──。
「楽しかったってことだろう。あいつなりに」
 閉じたドアを振り返り、フエが小さく笑った。
「九月が来て欲しくなかったのは、三志郎だけじゃないのかも
しれないな」
 ずっと、二人だった。
 夏の間中、片時も離れず二人一緒にいた気がする。
 決めた。
 積み上げた本の一番下から、スケッチブックを引っ張り出し
た。
 絵を描こう。
 山ほどの思い出の中から、一番好きなものを描く。
「絵の具、貸して」
「おう、いいぜ」
 にやりと笑って画材バッグを引き寄せると、兄は、灰色の
絵の具を放って寄越した。


                             了



2008.12.28
全訳:『去っていくのを惜しんでも止まらない春もあるのに、
来いと言わなくても来ている夏、そして、早くも着ている夏服
であることよ』。
……古文の現代語訳って、どうしていつも変な結びなんだろ
うと、学生時代、常々思っていたことであるなあ(←やっぱり変)