食われる



 三志郎は、人並み以上によく食べる。
 育ち盛りの子供など、並みの大人より食べるものだというが、
それにしたって尋常な量ではない。
 『食べ放題、子供780円』ののぼりに釣られて入った焼肉
屋のテーブルで向き合い、不壊は溜息を吐いた。
「よく食うねえ、兄ちゃん」
「ああ?」
 三皿目のカルビをどさりと網に乗せ、三志郎が顔を上げた。
「本気出したら、こんなもんじゃねェ。まだまだ入るぜ」
「そうだろうな」
 テーブルには、既に空き皿が積み上げられている。その上に
また一枚、空いたばかりの皿が加わった。
「熱っちぃ!」
 炭火に脂が落ちて、炎が上がる。もうもうと立ち昇る煙の向
こうで、三志郎が顔を顰めた。それでも、箸は止めない。
 次々に焼けた肉を口に放り込むさまを、頬杖をついて不壊は
眺めた。
 食べないよりは、食べる奴の方がいい。
 ゲームは体力勝負でもあるから、スタミナ不足でふらついて
いるようでは、最後まで行き着けない。
 それに、個魔は人に憑く妖だ。悪戯に怖がらせても仕方がな
いので、子供たちには敢えて告げていないが、組んだ人間から
精を吸い上げて生きている。
 だから、パートナーがエネルギーに満ち溢れていれば、個魔
も元気に動き回れるし、反対にパートナーがへとへとに消耗し
きっている時は、個魔も精を奪れないからじっとしている他な
い。
 幸いなことに、三志郎は胃袋も神経もタフだった。周りで何
が起ころうが、時間になれば腹が減ったと飯を食い、食うだけ
食ったら死んだように眠る。
 お陰で、不壊が栄養失調で倒れたことは一度もない。
 三志郎が、空になった丼を突き上げ、ウェイトレスを呼んだ。
「姉ちゃん!飯大盛りおかわり!あと、カルビもう一皿!」

 ──でも、あんまり食欲があり過ぎるのも、問題なんだよ……

 不意に、昔聞いた話を思い出した。もう何十年も前だ。

 ──人間、特に男ってのは、性欲と食欲が比例するらしいよ。
   よく食べる奴ほどセックスに貪欲だし、食べない奴は、
   肉欲が薄いんだってさ。

 だから、気を付けていないと、精を吸い取るつもりがうっかり
自分が食われていた、なんてことにもなりかねない。
 赤毛の個魔は「ねえ?」と意味ありげな笑みを浮かべた。
 馬鹿らしい、と不壊は一蹴した。
 女ならともかく、男の自分に何を気を付けろと言うのか。
 まして、相手は大人じゃない。ガキじゃないか。
 そう言い返すと、『彼女』は声を立てて笑った。

 ──相手が手を出すとは、限らないよ。

「お待たせしました」
 新たな肉の皿と、大盛りの丼飯が運ばれて来た。
「坊や、ホントによく食べるわねえ」
 店のロゴ入りのエプロンを着けたウェイトレスが、感心した
ように首を振る。
 20歳前後、赤く染めて肩で切り揃えた髪が奇しくも『彼女』
に似ていた。
「ありがとう」と丼を受け取り、三志郎が注文を追加する。
「レバーとロース、もう一皿ずつ」
 「すごーい」と目を見開き、ウェイトレスは小さく笑った。
「底なしの胃袋ね」
 彼女がこっそり付け加えるのを、不壊は聞き逃さなかった。
「──何だか、こっちまで食べられそう」
 ウェイトレスがテーブルを離れ、三志郎は食事を続けた。
 白い歯が、焼き上がった肉を噛み切り、咀嚼する。飲み込む
と、また新たな肉を口に運ぶ。
 滴る肉汁に、汚れた唇。
 ぞくりと背筋が痺れ、不壊は腰を浮かせた。テーブルに乗り
上げる。
 混み合う店の中と判っていても、耐えられなかった。
 構うことはない。どうせ誰も、不壊の存在には気付いていな
いのだ。

 ──むしろ、手を出されるなら、まだマシじゃない?
   だって……

「ん?何だ?」
 一心に肉を貪っていた三志郎が、顔を上げる。
 その唇を、ちろりと舐めた。
 脂と唾液で舌先が滑る。
「……ンだよ、いきなり。びっくりすんだろ」
 そう言いながら、さほど驚いた風もなく、三志郎は手の甲で
口元を拭った。
 頬に赤味が差している。だが多分、それは炭火の熱のせいだ。
 彼は引っ掛からない。気にも留めない。
 仕掛けて火がついてしまったのは、不壊だけだ──悔しい
ことに。
「そうか」
 焦れる不壊にも気付かず、思いついたように三志郎が言った。
「お前は食わねェから、退屈だよな。まあ、も少し、待ってろ
って」
 肉汁塗れの唇が笑む。
「あと一皿食ったら、出るからよ」
 不壊は、身震いした。
 『彼女』の言葉は真実だ。

 ──だって、そいつらは生まれた時から知ってるんだよ。
   どうすれば、獲物が自分から身を投げ出すか……そうさせ
   ておいて食ってくれないなんて、生き地獄じゃないか。

 このことか、と理解した。
 手を出さない彼の前に、自分は身を投げ出そうとしている。
 押さえ込まれたい。首筋に歯を立てて欲しい。
 生きながら、滅茶苦茶に噛み千切られてしまいたい。
 願っても得られない、焦がれるだけの生き地獄。
 欲望を噛み殺しながら、想像の中で不壊は食われる。
 髪ひと筋も残さず、三志郎に。


                            了


2008.11.10
気持ち悪くなった方、ごめんなさい(苦笑)
でも私は、書いていて焼肉食べに行きたくなりました。



駄文TOPへ戻る