江戸ポルカ U


〜 25〜


 正人が振り返る。
「お前は……!」
 それきり、声が途切れた。いつの間にか背後に立っていた男
と、ウタの姿に気付いたせいだ。
 男は、ウタのかつての片割れ、華院重馬だった。
 そして──ウタは、足元から生えた巨大な手に、鷲掴まれて
いた。
「重馬!てめェ、何しに来た!」
 三志郎の問いに、重馬は薄く笑み、答えた。
「何を、だと?決まってるじゃないか。自分のものを、返して
もらいに来たのさ」
 漸く口がきけるようになった正人が叫んだ。
「ウタはお前のものなんかじゃない!僕のものだ!」
「お前の傍にいると言ったから、か?そんな言葉なら、俺だっ
て言われたさ。もう、何年も前にな」
 全身を握り込まれ、ウタが苦悶に顔を歪めた。
「やめろ、ウタを離せ!」
 妖を呼び出そうとした正人を、もう一本、天井からぶら下が
るように生えた手が、弾き飛ばした。壁に叩きつけられ、正人
は動かなくなった。
 ウタが悲鳴を上げる。
「正人!」
「お前は戻るんだよ」
 重馬が口の中で何かを唱え、ウタの足元に黒々と大きな穴が
口を開けた。
「正人……目を開けて!正人!」
 必死の叫びを残し、ウタは穴に吸い込まれた。
「ウタ!」
「おっと」
 駆け寄ろうとした三志郎を、天井からの手が掴んだ。指一本
が大人の腕ほどもある。握り締められ、三志郎は呻いた。
 あばらが砕けそうだ。体が浮き上がり、足が宙を掻く。
「離せ、この野郎……っ!」
「兄ちゃん!」
 不壊が、手を伸ばした。そこに、
「動くな、個魔よ」
重馬の声が飛んだ。
「そいつを握り潰されたくなければ、言うことを聞け」
 三志郎と重馬の間で、不壊は動きを止めた。
 霞み始めた目を必死に見開き、三志郎は重馬を睨んだ。酸素
が足りない。こめかみがどくどくと音を立てる。
「重馬……てめェ何を……」
「遠い異国の諺に、こんな言葉がある。『目には目を、歯には歯
を』。諍いで目を潰されたら、相手の目を潰してやれ。歯を折ら
れたら折り返してやれ、という意味だ。
俺はそこに転がっているガキに、あの女を横取りされた。だか
ら女を奪い返してやった。そして三志郎。お前には、大事な焔
斬を奪われた。だから今度は、俺がお前の大事な個魔を奪って
やる番だ。まさに、目には目を、というやつだ」
「冗談、じゃ、ねえ……!」
「そう、冗談なんかじゃない。本気だ。あの女は、俺とそのガキ、
二人に仕えた。ならば、撃符使いが個魔を二人持って何が悪い?」
 朦朧としながらも、三志郎はもがいた。
 黙れ。
 そんなことはさせない。不壊は渡さない。
 重馬が尋ねる。
「どうする?三志郎を生かすも殺すも、お前次第だ。銀の髪の
個魔」
 行くな。
 そう伝えたかった。が、それは叶わなかった。
 凄まじい力で握り込まれ、激痛に三志郎は絶叫した。
「やめろ」
 不壊の声がした。
「どこへでも連れて行け」
「それでいい。おとなしく従えば、悪いようにはしないさ」
 三志郎を捕らえていた手の力が緩んだ。どさりと体が落下す
る。
「不壊……」
 頭を上げた。ただそれだけの動きで、全身が悲鳴を上げた。
痛い。涙が滲んだ。
 行くな。行くな。俺の傍から離れるな。
 三志郎の声にならない声を聞いたのか、不壊が肩越しに振り
向いた。
 何も言わない。
 ただ、仄かな笑みが、唇に昇った。
 ウタを連れ去った地獄の手が、不壊を掴む。
 一瞬の後、暗い穴の中へと、不壊は消えた。
「不壊!」
 這いつくばり、三志郎は叫んだ。
 喉と胸が焼き切れ、意識が遠のいた。


                          江戸ポルカU・了



2008.7.12
ひとまずU終了です。
ここまでお付き合い下さいました皆様、有難うございました!
Vは夏コミ終了後、開始の予定です。