江戸ポルカ U


                〜 25〜


「痛てて……修の奴、思いっきり殴りやがって」
「我慢しな。兄ちゃんだって散々殴っただろ。大体、最初に手
を出したのは、兄ちゃんの方だろうが」
「そりゃそうだけどさ……」
 三志郎は唇を尖らせた。
 無我には『妖同士の戦いじゃ決着がつかないこともある』と
か、すかしたことを言っていたくせに、何て言い草だ。
 むくれる三志郎には取り合わず、不壊は袂から手拭いを出す
と、血だらけの三志郎の顔を拭った。
 仄かに香の匂いのする布が口元を掠め、殴られて切れた傷口
が、飛び上がるほど痛んだ。
 顔を顰め、三志郎は言った。
「殴ってやらなきゃ、気が済まなかったんだよ」
「それで?気は済んだのか?」
「済まねェけど、済ませる」
「何だそりゃ」
「あいつがやったことを怒るのは、俺じゃねェもん。怒るなら、
亜紀か、清だ」
「まあ、そうだな」
 不壊の頬に皮肉な笑みが浮かんだ。
「嬢ちゃんたちに、何て説明するつもりなんだろうな。あるい
は、黙ってしらばっくれるか……」
「修は、そんな奴じゃねェよ」
 手拭いを持つ手が止まった。
「色々むかつくところもあるし、自分のこと弱い奴だって思い
込んでるみたいだけど、修は強ェよ。剣術も、難しい学問も、
あいつは一日も休まないで努力して来たんだ。そんな奴が、弱
いわけないだろ?
だから、大丈夫。きっと亜紀からも清からも、逃げたりしねェ
よ。それより……」
 気に掛かったのは、別のことだ。
 黙っていると、顔を覗き込まれた。
「どうした」
「……お前、言ったよな。お前たち個魔は、俺たち人間の片割
れだって」
「ああ」
「選んだ相手のために生きて、絶対に離れない、死ぬまでずっ
と一緒だって。言ったよな」
「言ったよ。それが、どうかしたのか?」
「そのこと、修も判ってんのかな」
 不壊が首を傾げた。
「無我にとっては、修が片割れだろ。不壊がいてくれるから、
俺は一人じゃないって思えるけど、あいつは──修は、一人で
苦しんでるような気がしたんだ」
 一番、修を理解してくれるだろう相手が、すぐ傍にいるのに。
 孤独に苦しみもがく修を前に、無我は何を思っていたのだろ
うか。
 三志郎は、不壊を見た。
 血で汚れた布を片手に、不壊は傍らに座っていた。
 じっと見詰めると、深紅色の目で見返された。
「俺と一緒に、いろよ」
 言葉が口を突いた。
 不壊の応えを待たず、その手を握った。先刻、逆上しかけた
三志郎を止めた、冷たく温かい手だった。
「どこにも行くなよ。何があっても、誰が来ても、絶対に、俺
と一緒にいろよ」
 驚いたように、握られた手に目を落とし、そして不壊は笑っ
た。
「どこにも行かねェよ。兄ちゃんが望む限り、俺はずっと傍に
いる」
「約束だぜ」
「ああ。約束する」
 不壊が頷いた、その時。
 不気味な軋みと共に、寝井戸屋が揺れた。


                            (続く)



2008.7.4
口説き魔(笑)