江戸ポルカ U


〜 22〜

 「お前は、いつもそうだな。胸の内では何を考えているやら、
判ったものじゃない」
 無我だけは、他の大人とは違うと信じた時期もあった。無我
は頭ごなしに叱ることも、修に何かをするよう命じたこともな
かった。常に、修の味方で、修が何をしようと否定しなかった。
 だが、最近思うのだ。
 否定しない、何をしても怒らないというのは、無関心と同じ
ではないのか。
 何故、関心もない修に付き従っているのか、そこまでは知ら
ないが。
 修の言葉に、無我は目を伏せた。彼を傷付けた気がして、修
は目を逸らした。
「行くぞ」
 芳町へと足を進める。
 すぐに、空気そのものに押し返されるような感覚を覚えた。
『人払いの結界』だ。
 破り方は正人に教わっている。
 正人は凄い。結界などいとも容易く破り、自由自在に妖を操
る。
 悔しいが、正人には敵わないと修は思う。こればかりは仕方
がない。正人は特別なのだ。修のことを「遊び相手」だと正人
は言ったが、修にとっては師も同然の存在だ。
 素晴らしい師についた今の自分なら、間違いなく三志郎に勝
てる。
 結界の縁で、辺りを見回した。
 結界には、必ず内と外の領域を区切るもの、目印が存在する。
大抵は二つの物が対になっている。
 それらを見抜き、取り除くことさえ出来れば、何ら怖れるこ
とはない。
 一番手前の茶屋の軒先に、正月用の飾りがあった。
 通りを挟んで、向かって右の茶屋には破魔矢が、左には羽子
板が飾られている。
 季節柄、どこにでもある正月飾りだが、破魔矢は男を、羽子
板は女を表す対物だ。
「……これか」
 あとは、二つを取り除いてみれば良い。
 着物の懐から、撃盤を取り出した。次いで、撃符を一枚、掴
み出す。
「妖召喚、わいら。存分にその無敵の鎌を振るえ」
 見えない結界が揺れた。

                × × ×

「妖逆門が閉じたわ」
 人間界に戻るなり、ウタは告げた。机に本を広げ、読んでい
た正人が顔を上げ、ウタを見た。
 湯島天神にほど近い、四、五組も泊めれば一杯になってしま
うような、小さな宿の一室だった。
 江戸に戻ってからというもの、正人はこの部屋に篭って、日
がな本を読んだり、思い立ったように筆を取っては何やら書き
付けたりしている。
 出歩いたのは、里村修を仲間に引き入れた時だけだ。
「誰が閉じた?」
「鎌鼬兄妹の妹、かがり。それに、イズナが付いていたわ」
「鎌鼬は一匹しか捕らえられなかったな。他の二匹は、向こう
に付いたってことか」
 本を閉じると、今度は筆を取り、紙に線を引いた。何かを改
めたようだ。
「それにしても……門を閉じるとはね。三志郎たちは、本気で
僕に抵抗する気なんだな」
「抵抗するだけじゃないわ。貴方に勝てると思っているのよ」
 江戸とその周辺の妖たちを『向こう側』へ逃がし、門を閉ざ
した。
 一人残った妖──不壊を餌に、敵を引き摺り出すつもりなの
だ。
 企んだのは、不壊に違いない。いかにも、大天狗の掌中の珠
と呼ばれた彼らしいやり口だ。その上、今は人間の片割れを見
つけ、胆も据わっている。
 だが、それでも三志郎と不壊は勝てない。
 正人は、とうにその手を見越しているからだ。
 彼らの前に現れるのは、正人の使う妖ではない。
 ウタは、愉しげに筆を動かす少年を見た。先刻から彼が書い
ているのは、戦略図だった。
 起こり得る様々な戦局を想定し、その場に相応しい妖と、そ
の戦い方を書き留めている。
 整った横顔が言った。
「勝つのは、僕だよ。心配しなくていい」
「心配なんて、してないわ。貴方を信じているもの、正人」
 ちらとウタを見て、微笑んだ。優しい少年の笑顔だった。
 勝つのは、正人だ。
 ウタは、膝の上で両手を握り締めた。


                            23へ続く



2008.6.7
人間と個魔との関係も色々。
個魔たちは皆「うちの子(or 亭主 o r嫁)一番」だけど、ぷれい屋
側には「向こうの組が羨ましい」的な感情も生まれるんでしょうか。