江戸ポルカ U
〜 21〜
背後の唐紙が引かれ、吹き込む廊下の冷気と同じくらい
冷たい声がした。
一階で会った女だった。たすきと前掛けは外している。
「鎌鼬のかがりだ。気をつけろよ、三志郎。怒らせると、包丁
よか切れ味のいい鎌でスパッとやられるぜ」
イズナがふざけたことを言ったが、女はにこりともしなかっ
た。立ったまま唐紙を閉め、出入口を塞ぐように座り込む。
イズナが、ニヤニヤ笑いを浮かべた。
「かがりよう。お前、本っ当にこれっぽっちも不壊を信用して
ねェんだな」
「この男だけじゃない。個魔そのものが信用出来ないのだ。我
らの敵、人間に肩入れする奴らなど、同じ妖と認められるか」
「敵って……」
じろりと睨まれ、三志郎は黙った。女の目の中にあるのは、
凝り固まった憎しみと蔑みだ。容易く解けるとは思えない。
以前にも、こんな目を見たことがあった。
不壊と出会って間もない頃だ。
妖たちに大変なことが起きているのなら、どうにかしてやり
たい。そう口にした三志郎を、不壊は「傲慢だ」と切り捨てた。
あからさまではなかったが、あの時の不壊も、今のかがりと
似た目をしていた。
「古の時代より何千年も、我ら妖は人間と共にあった。友人と
して、あるいは心強い同胞として、共に戦ったこともある。そ
の歴史に背を向け、人間は我らに弓を引いた」
かがりが美しい貌を歪めた。
三志郎の膝元で、イズナが素早く言い添える。
「かがりは、すぐ上の兄貴を撃符にされちまったんだ」
「兄貴を?そうか、だから……」
箸と茶碗を膳に戻し、三志郎はかがりに向き直った。
「親兄弟を奪られたら、悔しくて当たり前だよな。人間が、酷
いことしちまって、ごめんな。絶対、連れ戻してやるから……」
「調子の良いことを言うな!」
かがりの姿が消えた。
同時に、氷のように冷たい、文字通り『身を切るような』風
が三志郎を襲う。
顔を庇おうと上げた腕の内側に、細く鋭い痛みが走った。
「やべ……っ」
切られた、と一瞬怯んだ、そこを突かれた。
片膝を立てた不安定な姿勢のところに、風の塊がぶつかって
来る。三志郎は、仰向けに転がった。
朝餉の膳が引っ繰り返り、がしゃんと音を立てる。器の破片
か、鎌鼬の風か、左頬が切れた。
「よせ、かがり!」
イズナの声がして、風が止んだ。
目を開ける。
顔のすぐ上に、ぎらつく鎌の先があった。鎌は、かがりの手
から生えている。あと数寸振り下ろされれば、三志郎の額を串
刺しにしていただろう。
三志郎の胸に膝を乗り上げ、かがりが忌々しげに唇を震わせ
た。
「離せ、不壊!」
かがりを止めたのは、不壊だった。かがりの手首を掴み、飄々
とした口調で返す。
「離して欲しけりゃ、鎌を引っ込めな。かがり」
「妖の裏切者が!それほど人間が大事か」
「俺にとって大事なのはこの兄ちゃんだけだ。他の人間なんざ
知らねェよ。……早く引け。お前といがみ合っている暇はねェ
んだ」
(続く)
2008.5.18
アニメの『妖の里』の回がとても好きなので……ここらへんは
ついつい力が入ってしまいます(笑)
ああ、また見返しちゃいそう!