江戸ポルカ U


〜 21〜


 誰だろう。首を傾げながら、三志郎は階上へ続く階段を上っ
た。
 妖であることは間違いなさそうだし、見目は冷たく愛想の欠
片もなかったが、食事を用意してくれたところを見ると、敵で
はないらしい。
 「不壊」と呼び捨てにしていたくらいだから、以前会ったギグ
やハルたちのように、気安い仲間なのかもしれない。
 無人の二階を過ぎ、三階まで上がった。
 客間、寝間の前を通り過ぎ、真新しい南天の柄に張り替えら
れた唐紙を開ける。
「不壊?今、下で女の人に会ったんだけどさ……!」
「いよう!三志郎!」
 顔に、何かふかふかと温かいものが飛び付いて来て、視界を
遮った。
「どうだ、ちったぁ元気になったかよ!」
「お前……」
 首根っこを掴んで引き剥がそうとすると、それはくるりと身
を捻り、自分から床に降りた。後ろ足で立ち上がり、三志郎を
見上げる。
 緑色の毛並みと、子狐のような姿に見覚えがあった。
「お前、確か妖怪城で会ったよな。ええと……イズナ、だっけ」
「おう、覚えてたか。すっかりブルッちまって、何にも覚えて
ないんじゃねェかと思ったんだけどな。上出来、上出来」
 畳の上で片足を踏み鳴らし、けけっと笑う。
 その後ろから、不壊が言った。
「揶揄うのはそのくらいにしとけ、イズナ」
 三志郎が風呂に入っている間に、身仕舞いを済ませたらしく、
不壊は元の花魁姿に戻っていた。髪には、妖怪城から逃げる時
に壊れた、紅い珊瑚玉を繋いだ簪が挿してある。作り直したよ
うだ。
 腰高窓を背にして座り、不壊は三志郎に向かって手招きした。
「兄ちゃんも突っ立ってねェで、さっさと飯を食いな。折角、
かがりが作ったんだ、冷めてまずくしちまったら、また機嫌を
悪くする」
 女が言ったとおり、部屋の中には朝餉の膳が用意されていた。
 焼いた新巻鮭と卵焼き、大根の浅漬け、それに旬の蕪と賽の
目に切った豆腐の味噌汁。茶碗には、炊き立ての白飯がほっこ
りと盛られている。
 不壊が女の名前を口にした気がしたが、それより何より、正
直な腹がまたぐうと音を立てた。
「いただきます」
 話は食べながら聞くことにして、三志郎は箸を取った。一口
食べ、思わず、
「かーっ、美味ェ!」
と声が出た。
 料理屋に奉公しているお陰で、そこそこ美味い賄いにありつ
いている三志郎だが、それでも、この飯は美味い。
 程よく塩抜きをして香ばしく焼き色を付けた鮭と、ほのかに
甘い卵焼き──あっという間に山盛りだった茶碗が空になり、
三志郎はおかわりをして食べた。
 不壊は、一度立って茶を淹れたきり、あとは黙って三志郎が
食べる姿を見ていたが、三杯目が空になるに至っては、流石に
苦笑いを浮かべ、言った。
「いい食いっぷりだ。かがりが喜ぶだろうよ」
 かがり。
 その名を聞いて、やっと思い出した。
「そうだ、女の人が!」
 箸と茶碗を握り締めたまま叫ぶと、不壊が顔を顰めた。膝に
飛んだ飯粒を払いながら言う。
「喋るなら、口の中のものを飲み込んでからにしな。……下で
女に会ったんだろ?あいつが、かがりだ」
「あんたに『あいつ』呼ばわりされる覚えはないよ、不壊」
 三志郎の背後で唐紙が引かれ、廊下の空気と同じくらい冷た
い声がした。


                            (続く)



2008.5.15
私は圧倒的に、出汁巻きより甘い卵焼き派です。
同じ派の人、手を挙げて〜!