江戸ポルカ U


                 〜 21〜


 連子窓から射し込む、細い絹糸を束ねたような冬の陽射しが、
洗い場に出来た水溜りに落ちている。
 檜の匂いが満ちる浴槽に浸かり、三志郎は湯気に霞む天井を
ぼんやりと見上げた。
 寝井戸屋の一階奥に造られた内湯だった。
 一般の町屋ばかりでなく、泊り客を相手にする妓楼でも、内
湯を抱えているのは珍しい。なかなかお上の許しが出ないのだ。
 陰間茶屋も例外ではなく、芳町の陰間たちも近隣の風呂屋へ
と通っていたが、商魂逞しい寝井戸屋の女将は、それをよしと
しなかった。
 風呂屋の男湯で上客と顔を合わせでもしたら、客が興ざめす
るかもしれないし、あるいは、薄暗い湯屋の中のことだ。客と
陰間との間で、店を通さずに『間違い』が起きるやも知れない。
 そうごねにごねて、内湯を造る許しを取り付けた。無論、法
外な金を積んだことは言うまでもない。
 芳町随一の売り上げを誇る寝井戸屋だからこそ出来たことだ
った。
 天井から水滴が落ち、湯船で音を立てた。静かだ。水音の他
には、何の物音も話し声もしない。
 人払いの結界を張ったから、三志郎以外の人間はいない、と
不壊は言っていた。だが、それなら誰がこの湯を沸かしたのだ
ろう。
 不壊ではない。不壊は、つい今しがたまで、三志郎とひとつ
夜具の中にいた。
 ──ひとつ夜具の中に。
「……!」
 三志郎は、鼻まで湯の中に沈んだ。
 青白い皮膚と銀色の髪の感触が、手指だけでなく全身に残っ
ている気がした。
 初めての時は、何が何やら判らないうちに過ぎた。教えられ
る感覚を追いかけるだけで精一杯で、不壊の表情や声を気にす
る余裕などまるでなかった。
 今日は、はっきりと覚えている。
 三志郎は、ざっと湯から上がった。のぼせてしまいそうだ。
 手拭いで、ごしごしと痛いほど体を擦る。痛覚と共に、自分
がこれからやらなければならないことが戻って来た。
 個魔の匂いを嗅ぎつけて現れる妖から、不壊を守れるか。
 守れたとしても、それで終わりではない。妖から、正人を手
繰り寄せる。
 そこからが、本番だ。
 頭から手桶の湯をかぶり、浴室を出る頃には、腹も据わって
いた。
 着物を身につけ、引き戸を開ける。
 と、右手から出て来た女とぶつかりそうになった。
「うわ……」
 反射的に風呂場に隠れようとして、思い出した。ここは今、
人が入れない空間になっている筈だ。そこにいるということは。
 妖か。
 三志郎は、立ち止まったままの女を見上げた。
 長い黒髪を背中に垂らした、若い女だった。臙脂の縞の着物
にたすきを締め、白鼠色の前掛けをかけている。
 顔立ちはややきついが、穏やかな表情をすれば、驚くほどの
美人だろう。
 女は、じっと三志郎を見詰めている。
「お前……」
 話しかけようとした時、食べ物の匂いを感じて、腹が鳴った。
そういえば、昨夜から何も食べていない。急に、激しい空腹を
感じた。
 女は、表情を変えることなく言った。
「不壊の部屋に、朝餉を用意してある。上がって、食べるとい
い」
 それきり、また出て来た部屋へ入って行く。
「あ、あの……!」
 追い縋ろうとした三志郎の鼻先で、ぴしゃりと引き戸が閉ま
った。どうやらそこが、寝井戸屋の台所のようだ。


                            (続く)



2008.5.12
兄ちゃんの入浴シーン、初めて書いた!(笑)
そして、飯といえば、やっぱりこの人ですね。