江戸ポルカ U


                〜20〜


 唐紙の隙間から忍び込む風に、行灯の火が揺らめく。
 それに連れて、畳から壁へと這い上がる影も揺れた。
 影は、二つ。一つは座り、一つは立っている。
 ──火の用心。
 立てた障子の向こうを、火の用心の拍子木の音が過ぎて行く。
橋町での火事があったばかりだから、どこの町も警戒している
のだろう。
 この時代、火事は小火も含めればおよそ七日に一度の割合で
起きていた。冬場はもっと確率が高くなる。 
 どれほど警戒しようと人も建物も全てが密集した場所だ。生
活の中で常に火種は絶えないし、諍いや鬱憤も絶えない。
 主一家に生殺与奪の権利を奪われているお店の奉公人が、
たまりにたまった鬱憤を爆発させて、主の家財を損ねてやろう
と小火を起こすことも度々あった。
 多くは、家を焼き尽くすなどという大袈裟なものではなく、ちょ
っと痛い目を見せてやろう程度の出来心なのだが、付け火にせ
よ台所の燃え滓にせよ、元は小さな火が、町一つ、地域一帯を
焼き尽くすことだってある。
 それだから、火の見回りは一夜に何度も行われることもあっ
た。
 ──火の用心。
 また、拍子木が鳴る。
「あれで、良かったのか」
 立つ影の主が言った。低く、人を威圧するような、しかしどこ
か怯え、窺うような声音だった。
 座る影の主が、おっとりと柔らかな声で応える。
「上出来だよ。思っていた以上だ。役目を終えれば鳥となって
飛び去る『火魂』……妖の選び方も、とてもいい」
「当然だ。……だが」
「何だい?」
「本当に、大丈夫なんだろうな。その……」
 数瞬、躊躇った。まるで、口にすることで、恐ろしいことが
降りかかって来るのを怖れているようだ。
 それを払うかのように「ええい」と首を振ると、言った。
「あの火事と僕の関わりが、疑われることはないんだろうな」
「そんなこと」
 くすくすと、座った方が笑い声を立てた。
「あるわけがないよ。日野屋の周りで君の姿を見た者はいない。
何より、あの火事が妖によるものだと知っているのは、ほんの
僅かしかいないんだ。君と、僕と、あの日野屋の娘」
「そして、各々の個魔だけか」
 立っているのは修、座っている方は正人だった。 正人の背後
にはウタが、修の背後には無我が、それぞれ影に溶け込むよう
にして控えている。
 この部屋に入ってからというもの、ウタも無我も、ひと言も口を
差し挟まず、また、互いに目を見交わすことすらしていない。
 まるで、自ら考えることを放棄した影そのもののような居住
まいだった。
 正人が、微笑を残したままで言った。
「そういうことだね。だから、余計な心配はしなくていい」
 修が、鼻梁に皺を寄せた。
「僕が考えることが、余計だと言うのか」
「頭を巡らすのが悪いとは言わないよ。でも、今君がするべき
ことは、力をつけることだ。君は、妖を呼び出し、操る力を身
につける。呼び出された妖が、命じられた役割を必ず果たせる
ように」


                            (続く)



2008.5.7
お待たせいたしました(…お待ちくださっていた優しい読者様
がいらっしゃれば…!)
スパコミが終わりまして、漸く連載再開です〜!