江戸ポルカ U


〜19〜


 「忘れたのかい、兄ちゃん?俺は元からそういう役目でここに
いるんだぜ」
「覚えてるさ。けど……!」
「夏に、俺がウタを逃さなければ、こんなことにはならなかっ
たんだ。あの落とし前を、付けなきゃいけねェんだよ」
 三志郎は、ぐっと唇を噛んだ。
 不壊の言うことは判る。あの時、ウタと正人を逃がしたこと
を、妖たちは今も許してはいない。三志郎たちは、力で競り負
けたわけではないのだ。
「でも……だったら、責められるのは、お前だけじゃねェだろ。
あの場には、俺もいたんだから」
 その言葉に、「ああ」と、不壊が意味ありげな微笑を浮かべた。
「だから、兄ちゃんには残ってもらったんだ。結界の外に出さず
に」
 ちらりと不壊の目が、夜具の傍らに置かれた撃盤と撃符に向
けられる。
 そういうことかと、三志郎は漸く腑に落ちた。
 不壊が引き寄せ、三志郎が叩く。妖である個魔と、人間であ
る撃符使いの両方が揃って、初めて使える手だ。
 無論、揃っているだけではいけない。囮に食い付いて来た敵
を、撃符使いが確実に仕留めなければ、勝負には勝てない。
 不壊が妖に食われてしまえば、そこで全てが終わるのだ。
 全身に緊張が走るのを、三志郎は感じた。
 だが、その緊張は不快なものではなかった。不壊は、三志郎
を信じてくれたのだ。
 三志郎は呟いた。
「二度目だな。こんな賭けをするのは」
「嫌なら降りてもいいんだぜ?」
 不壊がついと身を伸ばし、三志郎の顔を覗き込んだ。
 三志郎は、首を横に振った。
「降りたきゃ、とっくの昔に降りてるさ」
 恐ろしいものも見た。
 独り、夜も眠れぬほど悩んだ。
 大天狗たちに託された撃盤と撃符を、疎ましいとすら感じた。
 それでも、決して揺るがなかったものが一つだけある。それ
は、不壊を個魔にした瞬間から、常に変わらず三志郎の中にあ
ったものだった。
 不壊が、僅かに首を傾げる。
「守ってくれるんだろ?兄ちゃんが」
「当たり前だ」
 短く応えて、細い首を抱き寄せた。
「ごめんな」
「何のことだ?」
「独りで待たせて、ごめん」
 一瞬黙り、それから、不壊は言った。
「構わねェよ。こういう商売だ。待つのは慣れてる……けどな」
 突然、ぐいと胸を押された。先刻まで寝ていた夜具に、仰向
けに転がる。
「不壊?」
 真上に、不壊の顔があった。枝垂れる髪が、三志郎の耳元で
音を立てる。
「兄ちゃんが待ち惚け食らわせたのは、芳町一の花魁だ。それ
なりの責任は、取ってもらわねェとな」
 意味を察して、三志郎は狼狽えた。
「ちょ、ちょっと待て、不壊!今はそれどころじゃねェだろ!」
「心配すんな。妖が全員引き上げるまで、あと半刻はかかる。
それまでは、どうせ俺たちも動きようがねェんだ」
 「それに」と、不壊が、くくっと笑った。細い指が、下帯の
上から膨らみを撫でる。その柔らかな刺激に、また、自身が硬
く形を変えるのが判った。
「兄ちゃんも、そう悪い気はしてねェみたいだけどな」
 当たり前だ、という叫びが、喉元まで出掛かった。
 契ったのは、一度きりだ。
 正直、欲しいと思ったことは何度も──それこそ両手両足の
指で数え切れないほどあったが、そうと告げたことはなかった。
 三志郎は三志郎なりに考え、必死に堪えて来たというのに。
「それとも、何か?やり方を忘れちまったって言うなら、思い
出させてやろうか」
 揶揄うような不壊の口ぶりに、ついに辛抱尽きた。ぐるりと
体を入れ替えると、不壊の手首を掴み、抑え込む。
「忘れるわけねェだろ!」
 憤然と白い首筋に顔を埋める。
 不壊は、もう笑わなかった。
 ただ、殆ど吐息のような声で「俺もだよ」とひと言、言った。


                            20に続く



2008.4.21
オフラインではこの先もがっつりありますが、オンラインでは
ここまで!(笑)
兄ちゃんが何で手を出さなかったのか──とか、その辺の
くだりはオフラインで出て来ますので、そちらでお読み頂け
ましたら嬉しいですv