江戸ポルカ U


〜18〜


 三志郎が、このまま動かなかったら。
 不壊の中に、「もしも」はない。
 個魔にとっては片割れの人間が全て、不壊にとっては三志郎
がこの世の全てだ。
 三志郎がいなければ、完全な個魔になることもなかった。
 三志郎が現れ、不壊の壁を突き破って飛び込んで来たから、
今の不壊がいる。
 だから、片割れが三志郎ではない、別の誰かだったら、と
いう仮定も存在しない。
 三志郎が動かないのなら、江戸も、妖の世界も、間違いなく
滅びるだろう。三志郎は死に、自分も消える。
 ただ、それだけのことだ。
 淡々と、不壊は考えた。
 起こる悲劇を食い止めようとか、三志郎を無理矢理引っ張り
出そう、などという気持ちは、これっぽっちもない。
 片割れの全てを受け入れる。個魔とは、そういうものなのだ。
 三志郎を受け入れて、彼の個魔になった瞬間、それが判った。
 今なら、ウタのことも理解出来る。
 かつて、仲間への裏切りと知りながら、重馬に力を貸したこと
も、今、暴走する正人を止めようとせず、付き従っていることも。
 ウタの行動は、個魔そのものだ。
 ──だが。
 着物の膝に一粒残っていた薄桃色の金平糖を、不壊は摘んだ。
 信じている。三志郎は、必ず動く。
 三志郎は、滅びようとしている者を、黙って見殺しに出来る
人間ではない。
 恐怖に晒されても、怯えて巣穴にもぐり込み、ただ震えてい
るような人間ではないのだ。
 いずれ必ず、三志郎は動く。
 ふと思った。
 ウタはどうなのだろう。
 こんな風に、ウタも正人を信じているだろうか。
「……!」
 近付いて来る気配を感じた。
 イズナも菓子鉢から顔を上げ、砂糖屑にまみれた髭をひくつ
かせている。
「不壊、こいつは……」
 応えず、不壊は立ち上がった。
 『気配』は素早く三階の屋根までよじ登ると、一瞬の影法師
になり、不壊の部屋の前を走り抜けた。
 閉じた唐紙を開ける。
 ちょうど、三間続きの座敷の一番向こう、客間の窓が開くと
ころだった。
「不壊!」
 埃だらけで転がり込んで来た三志郎は、立ち尽くす不壊に駆
け寄り、言った。
「正人を探すぞ、不壊!俺が、あいつを止める!そして天狗の
爺っちゃんたちを、お前を、自由にするんだ!」
「兄ちゃん」
「撃符も、撃盤も持って来た!あとはあいつを見つけるだけだ。
教えてくれ、不壊。どうやってあいつを探せばいい?」
 勢い込む三志郎の上に、不壊は身を屈めた。
 手の中の金平糖を、ぽいと三志郎の口に放り込む。
「……あ?」
 きょとんと不壊を見上げた、その唇に口付けた。
「うひゃあ」
 背後でイズナが妙な声を上げたが、構わなかった。舌先で、
金平糖を押し込む。
 うう、と三志郎が呻き、次の瞬間、がくんと崩れた。抱きと
め、三志郎ごと座り込む。
 近付いて来たイズナが言った。
「やっと来たかと思ったら、寝ちまったのかよ?」
「寝かせたんだ」
 一睡もしていなかったのだろう。顔色が悪かった。もしかし
たら、この数日間、ずっと眠れなかったのかもしれない。
 汗ばんだ髪を撫でてやりながら、不壊は「イズナ」と呼びか
けた。
「一つ頼みがある」
「何だよ」
「妖の里に行ってくれ。雷信に、里の妖たちを全員連れて、妖怪
城に引き上げるように言うんだ」
「雷信に?でも、そんなことしたら、人間界に妖が全然……」
 言い掛けた言葉を、イズナは飲み込んだ。不壊の言わんとす
ることを察したらしい。
「よっしゃ、判った。ひとっ走り、行って来てやらあ」
「頼むぜ」
「任せとけって」
 畳に波紋が広がり、イズナは消えた。
 部屋が再び静寂に包まれる。
 眠り込む三志郎を抱いて、不壊は夜具にくるまった。
 朝が来て、また戦いの中に引き摺り戻されるまで。少しでも
眠らせてやりたい。
 目を閉じて感じる、高い体温と速い鼓動が、愛おしかった。


                            19へ続く



2008.4.4
やっと再会しました(笑)
長い道のりじゃったのう……。