江戸ポルカ U


                〜18〜


 転寝していたようだ。
 不壊は凭れていた連子窓から、身を起こした。おかしな寝方
をしたせいか、頭の芯が微かに痛んだ。
 ほんの半刻ほどの間に障子は仄白く色を変え、夜が明けつつ
あることを知らせていた。
 獅子頭の三つ脚も贅沢な火鉢の中で、赤く燃え残る炭が、ち
りちりと音を立てる。
 明け方の寝井戸屋は、静まり返っていた。
 ちょうど床入りの頃に起きた橋町の火事のせいで、客があら
かた引き上げてしまったのだ。
 橋町から芳町まで、七、八町(およそ七七〇〜八八〇メート
ル)ほどあるのだし、風も逆向きだから大丈夫だと、強欲な女
将は散々引き止めたのだが、無駄だった。
 当然だ。客にも家がある。家族がある。
 例え家が橋町やその近辺でなかったとしても、風向きなどい
つ変わるか判らないのだし、万が一家族に何かあった時、自分
は陰間茶屋にしけ込んでいたなどと知れたら、世間体が悪いこ
とこの上ない。
 不壊の客も、半鐘の音を聞くなり、解きかけていた下帯を巻
き直すのもそこそこに、大慌てで帰って行った。
 唐紙を立てた隣の客間には、手付かずの夜具が、そのまま敷
かれている。
「人間ってのは、つくづく寝汚ェもんだなあ」
 呆れたような声がして、部屋の畳に波紋が広がった。いくつ
も重なる円の中心から、ひょいとイズナが飛び出して来る。
 大きな尻尾を左右に振りながら不壊に近付き、イズナはケケ
ケッと笑った。
「女将の寝顔、見て来たぜ。枕元に徳利ごろごろ転がしてさ、
口開いて寝てやがんの。色気も何もあったもんじゃねェな」
「大方、客に逃げられたんで、自棄酒でも飲んだんだろう。
あんまり調子に乗って、他の連中に見つかるんじゃねェぞ」
「判ってるって。そんなヘマするおいらじゃねェよ。……それ
より」
 ちょこんと不壊の向かいに座り、顔を見上げる。
「まだ『あいつ』、来ねェの?」
 三志郎のことを言っているのだと、すぐ判った。
 不壊は頷いた。
 橋町の火事は、ただの火事ではない。妖怪城でハルが感じ取
ったとおり、あれは、明らかに悪意を持った妖が引き起こした
ものだった。
 挑発されている。
 だが、三志郎が撃盤を使おうとした気配はない。
 そして、三志郎が動かない限り、不壊もまた、ここから動く
ことはない。
「ああもう!」
 駄々をこねる子供のように、ごろごろとイズナが畳に転がっ
た。
「イライラするなあ!このまんまじゃあ、妖怪城も江戸も、俺
たちみぃんな、やられっちまうよ!」
「そうかもな」
「そうかもな、って、不壊!落ち着いてる場合かよ!」
 不壊は黙って菓子鉢を引き寄せた。甘い物は好きではないが、
幼い禿たちへの駄賃代わりに置いてあるものだった。
 蓋を開ける。現れた色とりどりの粒状の菓子に、覗き込んだ
イズナが、「わあ!」とはしゃいだ声を上げた。
「何だ、これ?つのつのがあるぞ!」
「金平糖だ。食うか?」
「食えるのか?」
 ざらりと手で掬い、差し出す。イズナは恐る恐る一粒取り、
ぼりりと噛んだ。
「甘い!」
 どうやら気に入ったらしい。
 忽ち不壊の掌にあった分を食べ尽くし、ついには鉢に頭を突
っ込んでぼりぼりやり始めたイズナを見下ろして、不壊は、聞
こえないほど小さな溜息を吐いた。


                            (続く)



2008.4.2
手乗りイズナは、めいどんさんへv
妖でも、ものを食べるのだろうかと、ちょっと考えましたが、
とらちゃんもハンバーガー食べてたことだし、いいですよね?

↑…と昨夜半分寝こけながら書いて、そのまま上げてしまった
のですが、『妖の里』で、かがりちゃんご飯作ってたし!子鬼は
お腹空かせてたし!私としたことが、基本忘れてるじゃん!
駄目なファンでごめんなさい……。