江戸ポルカ U


〜17〜


「……三志郎」
「良かった、無事だったんだな!」
 駆け寄ろうとして、いきなり、柄杓の水を浴びせられた。
 ぽたぽたと前髪から雫が滴り落ちる。
「何すんだよ!」
「今更、何よ!」
 頬を歪ませ、亜紀が叫んだ。激しい怒りに、肩が上下してい
る。
「亜紀?」
 桶を投げ捨てたかと思うと、亜紀は柄杓を両手で真っ二つに
へし折った。
「あんたが愚図愚図しているから、こんなことになったんじゃ
ないの!私の店だけじゃない。この辺一帯の人たちに、何と言
って謝るつもり!」
「ちょっと待てよ。お前、何言って……」
「結界に閉じ込められたのよ」
 三志郎は声を失くした。
「閉じ込められて、焼き殺されそうになった。ハルとシロが
いなかったら、死んでいたわ」
「妖が……?」
 首を横に振った。
「実際に見たわけじゃない。だから、人間の術師かもしれない。
それは判らないわ。判っているのは、あの撃符使いと関係が
あるんだろうってことと、あんた以外誰にも、もうどうすることも
出来ないってことだけ。あいつを知っているのは、あんたなん
だから!」
 一気に感情が溢れ出したように、亜紀は顔を覆ってしゃがみ
込んだ。両手の隙間から、嗚咽混じりの声が漏れた。
「……何で、あんたなんだろう……私が知っていたら、こんな
こと、絶対、させなかったのに……」
 泣き続ける亜紀を前に、三志郎は懐から撃盤を取り出した。
ずしりと重く感じるそれを、握り締める。
 自分が、やるべきことを。
「……ごめんな」
 亜紀は応えなかった。泣き続ける亜紀を残し、三志郎は踵を
返した。
 日野屋の焼け跡を出たところに、女が立っていた。ハルだ。
 足を止め、三志郎は頭を下げた。ハルも、危険に晒されたの
だ。
「ごめんなさい」
 ハルは首を振った。三志郎が手にした撃盤に気付き、微笑む。
「行くの?」
「うん。亜紀のことは……」
「大丈夫よ。亜紀ちゃんは強い子だから。それに、私も、シロ
も付いてる」
 自分の名前が出たのを聞きつけたのか、シロがとことこやっ
て来て、ハルの裾に体を擦り付けた。その光景に、三志郎は目
を見開いた。
 シロの上にもう一つ、別の姿がかぶって見えていた。仔馬ほ
どの大きさの、不思議な獣。静かな目をしたその生き物が妖で、
ずっと亜紀を守っていたのだと、三志郎は悟った。
「亜紀を、頼むよ」
 シロの頭を撫で、また歩き出す。
 ハルの声が追って来た。
「三志郎くん。早く行ってあげて。不壊は、貴方を信じて、
待ってたんだから……」
 叫び返した。
「知ってるよ!」
 歩く足が速まり、駆け足になった。
 今、自分がやれること。自分にしか、出来ないこと。
 焼け跡を抜け、堀を渡る。
 不壊が待っていてくれる場所へ、三志郎は駆けた。


                            18へ続く



2008.3.31
ああ……長かった(汗)兄ちゃん、早よ行ってやれ。
やっと春が来ますよ。