江戸ポルカ U


〜16〜


  もとよりあんな奴に頼ろうとしたのが間違いだったのだ。こん
なことなら、始めから自分一人でどうにかすれば良かった。
 猛然と反物を片付けながら、亜紀は考えを巡らせた。
 清が郷里に帰ったというのは、本当か、否か。
証言したのは宮司だけだ。その宮司が、もし正人側に付いて
いたとしたら?
 清の手前、疑いたくはないが、今はどんな手がかりでも無駄
には出来ない。明日にでももう一度、轟神社へ出向いて、詳し
い話を聞いてみよう。何なら、『例の妖のことだけど』とか何と
か、鎌を掛けてみても良い。
 それでもし、清の居場所が掴めたら、更に言えば、もし正人
が関わっていると知れたら、今度は正人を探せば良いのだ。
 と、ここまで考えて、亜紀は反物を巻く手を止めた。
 ──どうやって?
 冷静に思い返してみれば、亜紀は正人の顔を知らないのだっ
た。正人を直接見知っているのは、清と三志郎の二人で、うち、
清はいなくなった当の本人であり、三志郎はあの調子、てんで
使い物になりゃしない。
 どうやって、正人まで辿り着けば良いのだろう?
 妖絡みで相談出来る相手など、思いつかなかった。
 唯一の相談相手であるハルは、あの天狗風が吹いた日に、『暫
く留守にするから』と言い残して出掛けたきり、戻っていない。
 こんな時に、どこに行ってしまったのか。
 亜紀は、唇を噛んだ。
「……ハル」
 その名を口にして初めて、自分がとても心細くなっていたこ
とを知った。
 いつの間に、こんなに甘えていたのだろう。
 仕事で忙しい両親を恨んだことはない。
 美味しい食事、暖かな寝床、綺麗な着物。週に三日は習い事
に通い、沢山の使用人に傅かれる毎日。
 どれも両親が与えてくれたものだ──けれど。
 寂しかった。
 あと一刻、半刻でいい。一緒にいてくれたなら。何度そう思
っただろう。
 こうして品物を選別し、図らずも店の手伝いをするようにな
ったのも、元はと言えば、両親と一緒に居たいがためだった。
 そんな亜紀の気持ちを、ハルは知っていた。
『亜紀ちゃんはね、亜紀ちゃんらしくいればいいのよ』
 何度も、そう言ってくれた。
『私は、そのままの亜紀ちゃんが好きなんだから』
 無理をする必要などないのだと、優しく抱き締めてくれた。
 両親と同じくらい、いや、もしかしたら両親よりも温かな存
在。ハルになら、素直になれた。何でも相談出来た。
 なのに今、そのハルがいない。
 亜紀は、ぶるぶると頭を振った。
 こんな弱気じゃ駄目。清を助けられない。
 気を取り直して、再び反物を巻き始めた時、シロが再び吠え
始めた。今度は激しい。時折唸り声まで混じる。
 威嚇ではなく──まるで、何かと争っているかのようだ。
「シロ……?」
 呼んだ途端、コン、と咳が出た。何だろう。喉がおかしい。
 それに、この臭い。鼻の奥が燻されるような、痛みさえ感じ
る、これは──。
 亜紀は立ち上がった。
「火事!」
 部屋の中を振り返る。
 火鉢の火が燃え移ったのかと思ったが、そうではなかった。
反物は無事だ。畳も焦げていない。
 では、何が。
 シロが、いっそう激しく吠え立てた。
「シロ!シロ、どうしたの!」
 障子に手を伸ばし、慌てて引っ込めた。木の桟が、焼け火箸
のように熱い。
 反対側の襖に走り、愕然とした。煙が上がっている。建具の
隙間から流れ込んでいるのではない。襖そのものが、燻ってい
るのだ。


                            (続く)



2008.3.23
亜紀と清のコンビは大好きです。
百合なら、亜紀×清が良いと思います。
『京都、乙女二人』は三不壊的にも亜清的にも美味かった…。