江戸ポルカ U


                〜16〜


 暮れ四ツ半(午後11時頃)。
 橋町二丁目の呉服問屋『日野屋』の座敷では、亜紀が一人、
灯明の明りの下で起きていた。
 亜紀の前にあるのは、色とりどりの美しい反物だった。数日
前に川口屋の船で届いた品だ。
 大方は、船着場の近くに借りている蔵と、日野屋の敷地内に
ある蔵に分けて収めてあるが、目を引いたいくつかは、こうし
て亜紀が持ち出し、実際に着物に仕立ててみることにしている。
 着物に対する亜紀の目利きには、両親も一目置いていた。
ほんのよちよち歩きの頃から、選りすぐりの美しい反物ばか
り見て育ったせいだろう。並みの女なら派手過ぎると尻込みし
そうな色柄の反物や帯物も、品良く小粋に仕立てさせ、組み合
わせ、着こなしてのける。
 亜紀に憧れて、同じ着物を着たがる娘たちも多く、日野屋に
とっては何よりの宣伝になっていた。
「……ふぅ」
 紅と桃色をぼかし染めにした豪奢な京友禅を置き、亜紀は溜
息を吐いた。
 火鉢に掛からないよう注意深く広げた反物を見回す。
 今回仕入れたのは、殆どが京からの品物だった。
 赤と鼠の鹿の子絞り。
 切り箔に砂子を散らした金彩友禅。
 南蛮の更紗を模した、摺り更紗。
 春夏ものとして売り出すなら、少し早いうちから宣伝しなけ
ればならない。
 今から準備をして、年明け春先には着て歩けるだろう。
 そろそろ休もうか、と思いかけた時、障子越しの庭先で、シ
ロがワンと一声、吠えた。滅多に吠えない犬なのだが、珍しい。
「シロ?」
 腰を浮かせながら声を掛けると、シロは黙った。
 耳を澄ます。怪しげな人声や物音は聞こえなかった。今夜は
回り番が休みなのか、火の用心の拍子木の音すらしない。
「何だろ……」
 胸騒ぎがしていた。
 ここ数日、おかしなことばかりが続いている。
 最初は、この積荷が入って来た日。
 天狗風が吹いて、亜紀は、須貝正人がまた江戸に戻って来た
ことを知らされた。
 そして、その翌日、今度は清が巫女を務める轟神社に異変が
起きた。
 轟神社だけが、大きな地震に見舞われ、裏手にある妖のため
の社が、ぺちゃんこに潰れてしまったのだ。
 噂を聞いて亜紀が駆けつけた時には、清の姿は既になく、
一人残って片づけをしていた宮司は、郷里へ帰ったのだと亜紀
に説明した。いつ戻って来られるかは判らない、とも。
 おかしい。
 亜紀は怪しんだ。
 亜紀の自惚れではなく、確かに清は、亜紀を親友だと思って
くれていた。江戸に来て最初に出来た友達、大切な大切な友達
なのだと、そう言っていた。その自分に、何も言わずに帰って
しまうわけがない。
 それも、妖神社が壊滅した、直後になんて。
 清に、何かあったに違いない。 
 すぐに亜紀は、瓢屋へ走った。
 天狗風も地震も、きっと正人に関係がある。だとしたら──
甚だ不本意な話だが──相談出来るのは、三志郎だけだ。
 だが、瓢屋で会った三志郎は、いつもの三志郎ではなかった。
 清の失踪については少なからず驚いたようだったが、それで
も適当な相槌を打つばかりで、ろくな返事をしない。
 終いには痺れを切らして、「あの撃符使いを探しなさいよ!」
と詰め寄る亜紀に、
「探してどうすんだよ。清が正人に連れて行かれたかどうかな
んて、まだ判らねェだろ」
と言わずもがなのことを言って、亜紀を激怒させた。
「あの、馬鹿!」
 今思い出しても腹が立つ。


                            (続く)



2008.3.21
本当は京友禅より加賀友禅が(私は)好みですが…今回は
京友禅をば。
亜紀はファッションセンスがありそうですね。