江戸ポルカ U


                〜15〜


 妖怪城本丸から伸びる屋根の一つに、六つの人影があった。
 人間界に下りていた個魔たちだった。
 様子を見に戻って来たのだが、内心、来なければ良かったと
思っているに違いない。皆、そういう顔をしていた。
 誰しも、馴染んだ場所の変わり果てた有様など、見たくはない
ものだ。
 不壊は一歩、踏み出した。
 黒漆の下駄の下で、砕けた瓦が嫌な音を立てる。
 見上げた先の妖怪城は、既に原型を留めてはいなかった。
 天守閣はおろか、元の半分ほどの高さにまで崩れ、白壁を失っ
てぽっかり空いた穴からは、内側が覗いている。
 背後で、誰かが溜息を吐いた。
 難攻不落と、敵に怖れられた城だった。
 無論、ここまで攻め込んで来る人間の武将はいない。敵と言う
なら華院のような術師のことだ。
 少し腕に覚えのある術師たちは、自らの名を挙げようと、こ
ぞってこの城を目指し、戦いを仕掛けては、呆気なく敗れ去っ
た。
 入り組んだ城の構造と屈強な妖兵、そして、長い歳月の間に
歴戦を潜り抜けて来た智将・大天狗が、その度に術師の侵入を
阻んだのだ。
 そうして永遠にここにあるかと思われた妖怪城が、一夜にし
て滅びた。
 たった一人の、少年の前に。
「つわものどもが、何とやら……か」
「ふざけている場合ではないぞ、不壊」
 何気ない呟きを、低い声が遮った。
 不壊は振り向いた。
 いつになく険しい顔をしたギグが、こちらを睨んでいる。そ
の後ろに立つ四人もまた、似たり寄ったりの表情だった。不壊
に言いたいことがあるのだ。
 ギグが尋ねた。
「これから、どうするつもりなんだ」
「どう、って?」
「妖怪城は落ちて、長をはじめ殆どの妖が撃符となった。もう、
戦を始めるしかないんだぞ」
「始めるかどうかは、兄ちゃんが決めることだ。俺たちじゃね
ェだろ」
「貴様……!」
 怒気が漲る。大きな手が伸びて来たかと思うと、胸倉を掴ま
れた。高下駄を履いても、まだギグの方が背が高い。不壊の踵
が僅かに浮いた。
「いい加減にしろ!長たちは貴様のパートナーに賭けたんだ
ぞ!なのに何故、三志郎は動かない?このままでは、江戸の町
までが妖怪城の二の舞になるぞ!」
「こんな時だっていうのに、私たちはパートナーの傍にいてや
れないしね」
 冷ややかにナミが言い、剣呑な目つきで、隣に立つ男、無我
を見上げた。
「せめて、どこかの青臭いお坊ちゃんが、もう少し役に立って
くれれば良いんだけど」
 無我は目を伏せたまま、微動だにしない。ふん、とナミは目
を逸らした。
 その頬には、未だ黒ずんだ痣が残っている。突然現れた妖に
追われ、逃げ回った時に負った怪我だ。
 ナミだけではない。
 心配げにナミと無我のやり取りを見守っているハルの細い
手足にも、久しぶりに顔を合わせたデコの頭にも、さらしが巻
き付けられていた。
「あの正人という撃符使いが操る妖は、妖の匂いを目印に襲い
掛かって来る。今、我々が傍にいたのでは、パートナーを危険
に晒すだけだ。事態が動くまで、我々は人間界へは戻れない
……お前以外は」
 きつく握り締められたギグの拳を、不壊は押しやった。乱れ
た胸元を直しながら、そっけなく首を振る。
「それでも、待つしかねェんだよ」
「不壊!」
 不壊は、瓦礫の山となった城へと目を戻した。
 ギグの言うとおり、三志郎がこれきりなら、江戸城もやがて
あれと同じ姿を晒すことになるだろう。
「……片割れのためだけに生きて、片割れを守り、死ぬまで傍
を離れない。片割れが決めたことなら、何が起こっても、全て
を認め、信じて付いて行く。
俺は、兄ちゃんの個魔だ。兄ちゃんが選ぶなら、例え江戸が滅
んだとしても、俺は構わねェよ」
 噛み付く者はなかった。
 ここにいる全員が判っているのだ。
 他の誰が不壊の立場だったとしても、きっと同じことを言っ
ただろう。
 ギグが太い顎を引いた。
「もしロンドンの身に危険が及ぶようなら、遠慮はしない。
三志郎から撃符と撃盤を取り上げさせてもらう」
「……勝手にするさ」
 不壊が言った時だった。
 ハルが小さく叫び声を上げた。
「亜紀ちゃん!」
「どうしたの?」
「落ち着かれよ、ハル殿」
 駆け出そうとしてよろけたハルを、無我が抱きとめた。
 全身がぶるぶると震えている。目は、何か恐ろしいものを見
つけたように、大きく見開かれていた。
「どうして?私はこっちにいるのに……」
「ハル、何が起きたの?ねえ、どうしたのよ。落ち着いて」
 止める間もなかった。
「いや、離して!亜紀ちゃんが死んじゃう!」
 ナミと無我の腕を凄まじい力で振り払うと、ハルは屋根から
空中へと飛び出し、消えた。


                            16に続く



2008.3.18
久々に個魔〜ズでした。
不壊、何気に怖いこと言ってますね。