江戸ポルカ U


〜 10〜


「こんなことしてる場合じゃねェな。俺は戻るぜ。この話、個
魔連中には、お前から知らせてくれ」
「判った。不壊たちのことは、頼んだぞ」
「任せとけって。じゃあな」
 また、暗がりの中で素早く何かが動き、『イズナ』と呼ばれる
妖は消えた。
 ギグが立ち上がる。
「何があった?」
 尋ねたが、ギグは応えなかった。唐紙を開けたままの寝間に
入って行くと、着物を手に戻って来た。それをロンドンの肩に
着せ掛けながら、言った。
「風邪を引く」
「風邪なんか」
 ロンドンは、自分より一尺以上も背の高い男を、睨み上げた。
「誤魔化すな、ギグ。三志郎たちに、何かあったんだろう?
この間話していた、須貝正人に関わる話か?三志郎が急にいなく
なったのは、そのせいなのか?城が落ちたって、どういうこと
だ?妖の世界で、一体何が起きてるんだ?」
 矢継ぎ早な問いに、ギグは口を開きかけ、再び遮られた。
 階下で、戸を叩く音がしたのだ。
「……誰だ?」
 階段の上から、ロンドンは様子を窺った。
 木戸も閉まった、こんな時刻に訪ねて来るとは、尋常なおと
ないではない。
 妖かとも思ったが、それならば、先刻のイズナのように、戸
などくぐらず、自由に現れたり消えたりしているだろう。
 では、誰だ。
 音は、初めは控えめに、そして、二度、三度と徐々に激しく
なった。苛立っている。
 廊下に置いた雪洞を手に、ロンドンは慌てて階段を駆け下り
た。
 戸口に下りようとして、ギグに止められる。
「私が出る」
 引き戸の心張り棒はかったままで、ギグは誰何した。
「どちら様ですか」
 返って来た声は、ロンドンも聞き覚えがあった。
「すかしたこと言ってないで、さっさと開けて。私よ」
「……ナミ!」
 ギグが驚き、引き戸を開ける。
  立っていたのは、清の個魔、ナミだった。
 だが、見知った彼女が雪洞の仄かな明かりの中に立った時、
ギグもロンドンも、言葉を失った。
「どいて。上がれないじゃないの」
 戸口に立ったままのギグを押しやり、ナミは中に入ろうとし
て、白い貌を歪めた。
 通いのお手伝いが、立て掛けて忘れて行ったのだろう。竹箒
が、大きく膨らんだスカートに引っ掛かったのだ。
「ええい、もう!」
 忌々しげに、ナミはスカートを引いた。ビリッと音がして裾
が破れたが、それがどのかぎ裂きかも判らない。
 それほどに、ナミは傷付き、薄汚れていた。
 ぐわんと大きく巻いた青い髪はほつれ、剥き卵のようだった
頬と白い手袋は、泥か何かも判らないものに黒く汚れている。
 二階の座敷に上がるや否や、ナミはギグに向かい、言った。
「あんたも個魔の匂い、消した方がいいわよ。大事な坊やを危
険に晒したくないならね」
「どういうことだ。何があった」
「見ての通りよ。敵は妖を──多分、個魔を探してる。匂いを
嗅ぎ付けられたら、厄介なことになるわ」
「狙われたのか」
「狙い撃ちよ」
 ナミは吐きそうな顔をした。
「目的が清だったのか、それとも私だったのかは、判らないけ
どね。私の匂いを目印にしたのは間違いない」
 だから、妖の力を使わず、ここまで歩いて来たのだ。
 顔を拭く手拭いを渡してやりながら、ロンドンは尋ねた。
「敵っていうのは、夏に会った須貝正人か?」
「に、従ってる妖ね。神殿ごと清を潰そうとしたわ」
「清を?」
 ロンドンは、勢い込んだ。清は無事なのだろうか。
 胸中を察したのか、ナミはすぐに言った。
「大丈夫。今は、安全な場所にいるわ。つい先刻まで、妖に追
い回されて、えらい目にあったけど」
「……ギグ」
 ロンドンは、傍らに立つ個魔を振り仰いだ。緑色の目が、ロ
ンドンを見返す。
 聞かなくとも、これだけは判った。
「戦が、始まったんだな」
 ギグが、無言で頷いた。


                              11へ続く


2008.1.16
ナミは現代ならSK-U愛用者に違いありません。湯上り卵肌
です。
今回もギグロンコンビは由貴ちゃんに捧げますvvv


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