江戸ポルカ U


〜7〜


 妖と対峙したのは初めてではない。重馬の操る妖に襲われた
こともある。
 そして、重馬より手強い相手──正人と、三志郎はそう遠く
ない未来、戦わねばならないのだ。
 こんなところで、怖気づいているわけにはいかない。
 不壊が言った。
「この兄ちゃんも一緒だ。爺ィに、撃符使いを連れて来たと伝
えてくれ」
「撃符使い……?」
 一鬼の声の調子が変わった。疑わしげに三志郎を眺め回す。
「こんなガキがか。ふざけるんじゃねェぞ、不壊」
「敵の撃符使いも、そう違わない。いいからつべこべ言わずに
早く取り次げよ」
 不壊にせかされ、一鬼は面白くなさそうに背を向けた。白い
着物のせいもあって、背中は一枚の壁のようだった。
「今、長に伝えて来る。次の間で待っていろ」
 吐き捨て、元来た方へと戻って行く。重い足音が遠ざかった。
 一鬼が完全に闇の中へ消えると、三志郎は不壊を見上げた。
「今のは?」
「一鬼だ。単純で喧嘩っ早いが、悪い奴じゃない。ああ見えて、
爺ィの側近だ」
「ちょっと待ってくれ。先刻から、お前が爺ィ呼ばわりしてる
のは、一体……」
「そいつにこれから会ってもらう。こっちだ」
 肝心なことに触れた途端、不壊は話を切り上げ、歩き出した。
 一鬼が去った方へと、およそ一町ほども歩いただろうか。この
廊下はどこまで続くのかと、いい加減うんざりして来た頃、不壊
が立ち止まった。
 右の唐紙を、からりと開く。
 三志郎は、またも驚き、目を瞠った。
 広い部屋だった。
 瓢屋で一番広いのは、三つの部屋の仕切りを開け放って作る
30畳の客間だが、それよりはるかに広い。50畳、いや、もっと
ありそうだ。
 そこに、妖がいた。一人や二人ではない。何十、何百という
見たこともない妖たちが、ぞろりと雁首を揃えていた。
「行くぜ。兄ちゃん」
 不壊は迷うことなく、その集団の中に入って行く。前方に座って
いた妖が、慌てて道を開けた。
 注がれる視線が痛かった。
 この場に、人間は三志郎だけだ。
 どの目も、物珍しそうに、あるいは憎々しげに、三志郎を凝視
している。好意など、欠片ほども感じられない。
 と、何処かで、囁く声がした。

 ──不壊だ……不壊が戻って来たぞ……
 ──今頃、何をしに来たんだ……
 ──あの姿は……
 ──身を売っていたというのは本当だったのか……

 囁きは、忽ち波紋のように広がり、部屋中を満たした。
 卑しい笑い含みの声が言う。

 ──人の世で身を売っていたって?そりゃお似合いだ。
 ──噂は本当だったってことさ。
 ──噂?
 ──おや、お前、知らなかったのか。
 ──ほら、あれさ。不壊が長のお気に入りだって……
 ──お気に入りっていうのは、つまり……
 ──そう。夜毎、長の寝所に……

「うるせェ!」
 ダン!と三志郎は足を踏み鳴らした。
「兄ちゃん?」
 不壊が驚き、振り返る。
 部屋に充満していた囁きが、ぴたりと静まった。三志郎は
周囲を睨み渡した。
「何だよ、コソコソ陰口叩きやがって!言いたいことがあるな
ら、出て来てはっきり言ったらいいだろう!」
「よせ、兄ちゃん」
 肘を掴んで止められたが、三志郎は聞かなかった。
「不壊、お前だって悔しくねェのかよ!こいつら、何にも知ら
ねェくせに、お前を……!」
 顔を寄せ、「構うな」と、不壊は言った。
「俺は気にしない。だから、兄ちゃんも気にするな。……それ
に」
 不壊は、声をひそめた。
「こいつらを今は刺激しない方がいい。何しろ兄ちゃんは、これ
から……」
 言葉が途切れた。不壊が顔を上げる。
「不壊?」
 その視線を追って、三志郎も気付いた。
 この大きな部屋の最奥の襖が、開いていた。その向こうに、
更に部屋が続いていたのだ。
 妖たちが、おお、とどよめいた。次々に畳に頭を擦り付け、
ひれ伏す。
 奥の部屋から、まず一鬼が現れた。一鬼は不壊に向かい、
怒鳴った。
「長がお出ましだ!不壊、そのガキを連れて、前へ出ろ!」
 不壊に続き、三志郎は前へと進み出た。
 隣室は、煌々と明かりが灯っていた。
 部屋の四隅に立てた燭台の上で、太い蝋燭の炎が燃えている。
点っているのではない。勢いよく、燃え盛っている。
 その明かりの中に、一人の妖怪がいた。
 ぎょろりと剥いた両眼。赤黒い顔。長い鼻。
 その顔を、三志郎は実家にいた頃、客が持ち込んだ絵草紙で
見たことがあった。
 三志郎は呻いた。
「……大、天狗……」
 低く朗々とした声が響き渡る。
「不壊、それがお主が見込んだ人間か」
 思わず背筋を伸ばし、三志郎は大天狗を見返した。


                              8へ続く


2007.11.27
『不壊=大天狗の愛人(過去)』ネタもいつかやってみたいと
思ってみたり…。でも、江戸ポルカでは違います。


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