夜想う

 無人の駅舎は、煤けた常夜灯を点し、ぽつんと佇んで
いた。
 人家もまばらな田舎のことで、最終電車がとうに行き
過ぎた真夜中、通り掛かる者もいない。
 六畳分ほどの狭い待合スペースには、古い木製のベン
チが一つ、置かれていた。天井の蛍光灯は消されている
が、外の街灯のお陰で、ぼんやりと明るい。
「よし、ここにしよう」
 三志郎が、靴を脱ぎ捨てた。
 元から島育ちの野生児ではあったが、最近ますます
逞しさに拍車がかかっている。もうこれで三日続けての
野宿だ。
「もう少し歩けば家があるぜ。ンな固いとこで寝るより、
頼んで泊めてもらえばいいじゃねェか」
 コンクリートの床に伸びた影の中から尋ねると、欠伸
混じりの応えがあった。
「寝てるところを叩き起こすわけにはいかないだろ。
それに、屋根がありゃ十分だ」
「兄ちゃんよぉ」
 不壊は、するりと影の中から立ち上がった。
「元気なのは結構だが、休める時に休んでおかねェと、
いざって時に使い物になんねェぞ」
 三志郎は、組んだ両手を枕に、ベンチに転がっていた。
咎める不壊を見上げ、にいっと笑う。
「心配してくれてんのか?珍しいじゃん」
 不壊は眉を顰めた。
「そうじゃねェ。俺が言いたいのは……」
 説教の一つでもくれてやろうかと思ったが、やめた。
来い来いと三志郎が手招きしている。
 溜息を吐き、不壊は影の中に半身を沈めた。間近から
三志郎の顔を覗き込む。
「……何だよ」
 突然、三志郎の左手が伸びて、不壊は反射的に身を引
きかけた。すかさず「動くな」と、引き止められる。
 不壊の右頬に掌を当て、
「冷てェな」
ぼそりと三志郎が呟いた。
「そりゃあ、中身が入ってないからな」
 見詰める黒々とした瞳に圧され、不壊は目を逸らした。
 人並みの温度があったのは、はるか昔の話だ。
 奪われてしまった躰。
 驚き、嘆き、憤った。奪った相手を憎み、自分自身の
運命を呪った。
 あれからどれほどの時間が流れたのだろう。
 取り戻そうとして幾度も打ちのめされ、今では血肉に
伴う感覚すら、忘れてしまいそうに遠い。
「お前の体、絶対に俺が取り戻してやるよ」
 三志郎の声に、不壊は我に返った。
 静かだが、力強い声だった。
「俺は、空っぽじゃない不壊に触ってみたいんだ」
 温かな左手。頬に伝わる彼の体温が心地良い。
 弾かれたように、不壊は身を離した。
 崩れそうになった。かろうじて保っている輪郭までが、
溶けて無くなってしまいそうだ。
「……くだらねェこと言ってないで、さっさと寝ろ。
明日の朝、寝過ごしても起こしてやらねェぞ」
 吐き捨て、三志郎の影に潜り込む。
 ガキ扱いするなとか何とか、三志郎が騒いでいるのが
聞こえたが、放っておいた。
 単純な奴だ。かつて不壊が彼を利用しようとしていた
事など、綺麗さっぱり忘れているに違いない。
 あるいは、自分には関係のないことだと、はなから気
にもしていなかったのか。
 これまで何度も少年を連れて旅をしたが、三志郎のよ
うなタイプは初めてだった。
 正直苦手だ。扱いが判らない。三志郎も、彼に振り回
されている自分も。
 ぷれい屋と共にいるのは、自分のためだ。肉体を取り
戻すという目的がなければ、誰がこんな面倒臭い生き物
となど手を組むものか。
 ずっと、そう思っていた。
 だが、今は。
 欲しいものは欲しいと迷いなく口にする少年と、この
空っぽの胸にともる感情に、戸惑っている。

 頭上で、三志郎がくしゃみをした。
 夏とはいえ、掛け物一つ無いのだ。寒いのだろうか。
「風邪でも引いたのか?」
 流石に気になって影から抜け出して見ると、三志郎は
眠っていた。一向に不壊が出て来ないので、諦めて寝て
しまったらしい。
 夜に抱かれて、三志郎は短い安らぎを貪る。
 魑魅魍魎が跋扈する闇は、しかし三志郎の敵ではない。
 彼が対峙しているのは、妖たちの更にその外側にいる『別
の何か』だ。
 床に転がったキャップを拾い上げ、三志郎の傍らに腰
を下ろす。
 寝顔は、幼かった。
 まだほんの子供のくせに。小さな背中には重過ぎる荷
物を背負っているくせに。
 その上なお、不壊の荷物までも担ごうと言うのだ。
 固い髪を撫でる。無意識なのだろうか、甘えるように
三志郎が膝に擦り寄って来た。
 安心しきった、深い寝息。
 指先に触れる三志郎の熱が、膝に感じる彼の重みが、
不壊を揺さぶる。
 愛しい。
 この僅かに残った体の残骸すら、投げ出しても構わな
いほどに。
 全ての望みを適えようとする三志郎は、決して許さな
いだろうが。
 だが、もしも。
 もしも、三志郎の命と、この身を引き換える時がやって
来たなら──この体が消えてしまったなら、その時は。

 俺は、お前を守り眠らせる、夜になろうか。


                            了
                    


2007.1.8
とうとう書いてしまいました。初・妖逆門です。
三志郎はフエに甘えたいけど面と向かっては甘えられない子
だから、それが余計フエにしてみりゃ可愛いんじゃないかな。
とか言いつつ、三志郎のセクハラにフエが手を焼いていたり
したら、すごく良いです。三×フエ万歳。