取り敢えず危機は回避されたらしい。多大なる問題を残したような気
がするが。
 背後で、ゴホン、と取って付けたような咳払いが聞こえた。
「父さん・・・・・・どういうつもりだ?こんな所まで来やがって。今夜はど
こかホテルに泊まってるんじゃなかったのか?」
 振り返り、父親を睨み上げると、彼は飄然とした笑みを浮かべ、肩を
竦めて見せた。
「息子の危機に駆けつけてはいけないのか?これでも一応は父親のつも
りなんだが」
「へぇ、父親ねェ・・・・・・」
 キリキリとコナンのまなじりが吊り上がった。
「あんなクソゲー作りやがって!お陰で俺が大変な目に遭ったんだぞ!
協力するならもっと調べてからにしやがれ!」
 怒鳴るうちにますます怒りに拍車がかかった。
そうだ。元はといえば、この男がゲームへの協力を依頼された時に、
ヒロキの一件に気がついていれば防げた話ではないか。
「無茶言わないでくれ、新一。何しろ私があのゲームの演出を依頼され
たのは、締め切りのたった二ヶ月前で、とてもそんな余裕は・・・・・・」
「言い訳無用だ!しかも、よりにもよって、ホームズに自分の顔使って
んじゃねーよ!」
「父さんの顔が見られてほっとしただろう。・・・・・・そんなことより」
 怒りに震える息子の傍に歩み寄った父・優作は、かろうじて引っ掛か
っていたパジャマをやおら引き剥がした。
「ぎゃああ!何すんだ、父さんッ!」
 キッド顔負けの強引さで、ズボンと下着も引き下ろして丸裸にしてし
まうと、息子の両肩を掴み、彼は真顔で言った。
「新一、正直に言いなさい。あの泥棒とはどこまでいったんだ」
「・・・・・・は?」
「盗一君も相当に手の早い男だったが、その倅まで同じ血統とは!新一、
ちょっと見せてごらん」
「な、な、な・・・・・・!」
 抗う間もあらばこそ、ぐいと腕を掴まれ、抱え上げられたかと思うと
──。
「ひゃっ・・・・・・父さん!何考えてんだ、あんた!」
 何の前触れもなく秘門に指が挿し込まれた。まだ何の愛撫も施されて
いない乾いた内壁を、指が探ってゆくのが判る。
「嘘・・・・・・だろ、ちょっと、やめてくれってば!」
 脚をばたつかせ、痛みに泣き声を上げた時だった。
 風を切る音がしたかと思うと、壁にトランプのカードが突き刺さった。
 微かに父が呻き、見上げると、彼の頬から一筋、血が流れていた。
 窓枠を越え、室内に降り立った怪盗が、トランプ銃を懐に納めながら
言った。
「気になって戻って来てみれば・・・・・・推理作家の先生、俺に言ったこと
と、ご自分がなさっていることが矛盾していませんか?」
 そっとコナンを床に下ろし、ハンカチで頬を拭うと、優作は顔を上げ
た。
「矛盾?馬鹿なことを言ってもらっちゃ困る。君と私では目的が違う。
私は父親として息子の貞操を確かめただけだ。股間に血液を集中させて
いる君とは違う」
「こか・・・・・・悪かったな!こっちはあんたと違って若いんでね。そりゃ
あ興奮もするし勃ちもするさ。悪いがあんたの息子は、とっくのとうに
頂いちまったぜ」
 勝ち誇ったように胸を反らす怪盗に、優作の顔色が変わる。
「何ッ!新一、そうなのか?本当にこの男に処女を奪られたのか?」
 人間追い詰められると、脳は無関係なことを考えて自己崩壊を回避す
るらしい。この時、がくがくと肩を揺さぶられながらコナンが思ったの
は、『処女』という単語は使う場所が違うのではなかろうか、という、全
くどうでもいい疑問だった。
 コナンの沈黙をどう取ったのか、優作は、額を抑えながら何事か呟き
始めた。
「ああ、有希子に何といって説明したものか・・・・・・。私達の大事な息子
がどこの馬の骨とも・・・・・・いや、出どころは判っているが、どうしよう
もない色物に食われてしまったなんて・・・・・・。そもそも新一はどうして
男なんかに・・・・・・はッ!もしかして、あの四才の時の高熱で、私が熱冷
ましを尻に入れたのが悪かったのか?」
「ねつさまし!」
 すかさずキッドが身を乗り出した。この際、自分が『どうしようもな
い色物』扱いされたことはどうでもいいらしい。
「熱冷ましって、アレですよね。ロケット型していて、よく『坐薬』と
呼ばれている・・・・・・」
「そう、アレだ。医者は口から飲ませる薬と、下から入れるのの両方出
してくれたんだが、何しろ水も吐いてしまうような状態だったんで、仕
方なく坐薬を使ったんだが」
 つつーっと鼻血を流しながら、キッドが呟く。
「・・・・・・俺が入れたかった・・・・・・」
 コナンは無性に情けなくなった。
 何が悲しくて、こんな馬鹿二人の会話に立ち会わなければならないの
か。自分は何か悪いことをしただろうか。
 優作はもはや半泣きだった。
「新一!頼むから嘘だと言ってくれ!でないと父さんは・・・・・・!」
「だから手遅れだって言ってんだろう!俺が食っちゃったんだって
ば!」
 コナンのこめかみの辺りで、何か太いものがブツン、と切れた。もう
我慢ならない。
「テメーら・・・・・・いい加減にしやがれ!」
 彼が一声叫んだのと、黄金の右脚キックが炸裂したのは同時だった。
蹴り落とした二人の安否を確かめもせず、ぴしゃりと窓を閉める。と同
時に、階上から蘭の声がした。
「・・・・・・コナン君?まだ起きてるの?」
「あ、ごめんなさい、もう寝る」
 蘭がまた自室に戻って行く気配があった。
テレビとゲームの電源を落とすと、どっと疲れが押し寄せて来た。
事件より疲れる連中──しかも、うち一人は自分の実の父親だ──と
付き合っているのかと思うと、自分が少々哀れに思えてくる。
とにかく眠ろう。
パジャマを拾い上げ、足を踏み出しかけたコナンだったが、ふと、違
和感に顔を顰めた。
この体の重さは何だ。
まるで何かが肩に乗っているようだった。ちょっと金縛りにも似てい
る気がする、これは──。
「コ〜ナ〜ン〜ちゃ〜ん」
「いっ・・・・・・!」
ひょい、と肩の上に顔を突き出したのは、先刻確かに蹴り落とした筈
のキッドだった。
「何で、何でお前・・・・・・っ!親父はどうした!」
「性格はどうあれ、コナンちゃんの大事なパパに手荒な真似はしてない
よ。ちょっと眠ってもらってるだけだから、大丈夫。・・・・・・それにして
も、恋人を蹴り落とすっていうのは、あんまりじゃない?」
「誰が恋人だって?」
 剣呑な声を上げたところで、背中から抱き竦められた。
「俺以外に誰がいるの?」
 甘く低い囁きに、腰が砕けそうになる。耳に、こめかみに、頬に降り
注ぐ、キスの雨。
「キッド・・・・・・ッ!」
 シルクハットが床に落ちて転がった。
今日二度目の口付けにコナンは黙り、それから、瞼を閉じた。彼の体
温が心地良い。
「どこに行っても構わないけど」
 肩から外し、床に広げたマントの上にコナンを寝かせながら、キッド
が神妙な顔で言った。
「消えていなくなるなよ。名探偵」
「俺が?・・・・・・バーロォ、そんなヘマするか」
 腕を伸ばし、硬い癖毛の頭を抱き寄せながら、コナンは微笑った。
「お前を捕まえて、監獄にぶち込むまで、俺はどこにも行かねーよ」
 子供のような怪盗の、リアルな腕に、強く抱き締められる。
 どうやら、当分日本を離れることは出来そうにない。
 コナンはひっそりと苦笑した。


                                 了